4年目の覚醒。山田哲人が「ヤクルトの至宝」になるまで (2ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 だが、飛躍を期待された2年目は26試合の出場にとどまり、打率.250、1本塁打に終わる。

「当時は体の線が細く、足は速かったけどパワーが不足していて、一人前の選手になるには時間がかかると思ったね」(杉村コーチ)

 そして2013年。山田は開幕を一軍で迎えたが、しばらくしてファームに降格。この時、この年からヤクルトの二軍打撃コーチに就任していた杉村コーチと出会うのである。

「シーズン途中にファームに来てね。上(一軍)から『2カ月ぐらい鍛え直してくれないか』と。まず山田に聞いたのは、『ホームランが打ちたいのか、それともヒットが打ちたいのか、どっち?』ということでした。何事も本人が納得しなければ指導はできませんから」

 すると山田は、「ホームランが打ちたい」と答えた。

「じゃあ、50本から60本打てるのかと聞いたんです。そうしたら『そこまでは打てない』といった感じで、首をかしげていました。オレの意見としては、中距離打者として広角に打球をちらし、足を生かした方がいいんじゃないかと。『ホームランは20本でもいいだろう』って言うと、不機嫌な顔をしてね(笑)」

 山田が当時を振り返る。

「はい。確かに、ホームランを打ちたいと答えました。僕はもともと引っ張り専門で、常にホームランを打ちたいと思っていました」

 ふたりの話はまずそこで終了。とりあえず、杉村コーチの打撃指導の骨格ともいえるティーバッティングをスタートしたわけだが、最初の1カ月はファームでもなかなか打てなかったという。

「雨が降った日だったかな。ある時、山田が『広角に打ってみたい』と言ってきたんです。じゃあ、そういう練習をしようということになって、それからは正しいスイング、練習への取り組み、考え方など、ゲーム後にもよく話をしました」(杉村コーチ)

 山田はその時の心境の変化を、次のように語る。

「僕のバッティングはダメな時はダメ、いい時はいいとはっきりしていたんです。だから、安定した結果を出せませんでした。コーチの説明では、逆方向に打てばヒットになる確率が高くなり、打率も残せると。それで試してみようかなと」

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