中日・大野雄大の決意。「前田健太には負けたくない」
「開幕投手は自分しかいないくらいの気持ちでやっています」
沖縄・北谷(ちゃたん)キャンプがスタートする前から、中日・大野雄大はこう繰り返していた。そしてキャンプでは初日から170球を投げ込み、キャンプ中の球数は1800球を超えた。さらに、投手陣で行なうランニングでも常にトップグループを走った。やるとなったらとことんやる。それが大野という男だ。
昨年、チームトップの10勝をマークした大野雄大。
その思いはオープン戦の結果に表れた。2月22日のオリックス戦、3回を被安打3、無失点。3月1日のDeNA戦、3回を被安打0、無失点。3月8日の楽天戦、5回を被安打3、1失点。3月15日の日本ハム戦、7回を7安打、無失点。3月22日の楽天戦、3回を被安打4、2失点。トータルで21回を投げ、自責点3、防御率1.29の好成績を残した。
最近は競争を好まない選手が増え、グラウンドの中でライバルを探すのも難しい時代となったが、大野は常にライバルを見つけ、意識することで実力も評価も上げてきた。そもそも、大野の投手人生は屈辱の連続だった。
本格的に投手となったのは中学時代。今も「忘れられない」と語る中学2年の時のある試合でストライクが入らず、押し出し四球を連発。寒々とした空気を存分に味わい、試合後、涙ながらに野球を辞めたいと、母に伝えた。しかし、夜になると「もう二度とこんな思いをしたくない。エースになってやる」に変わり、以来、夜間のランニングが日課となった。
京都外大西高時代も、求め続けたエースの座は最後まで奪えなかった。高校2年の夏の甲子園決勝、歓喜のマウンドにいたのが駒大苫小牧の2年生、田中将大(現・ヤンキース)だった。その姿を大野はベンチで眺めていた。その時の心境を、「田中は眩しすぎました」と振り返ったが、「あの頃、こんなことを言っても誰も相手にしなかったでしょうけど、自分の中では、『いつか田中に絶対追いついてやる』っていう気持ちがありました」と語った。
1 / 3