大谷翔平のプロ1年目。「二刀流」挑戦は成功だったのか? (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 ピッチャーとして、150キロを超えるストレートを当たり前のように投げ、バッターとしては引きつけておいて逆方向に“引っ張る”という高度なテクニックを会得している。まして、大谷は高卒ルーキーだ。過去、プロ野球の世界で同一シーズンに投手、野手の両方で公式戦に出場した選手はほとんどいない。稀(まれ)にいるのは本職があって、一時的にリリーフとして登板したり、代打として打席に立ったりするケース。投手として先発し、勝利投手となった直後に今度は野手として先発し、ホームランを放つというような二刀流は藤村富美男、川上哲治など、戦中、戦後の混乱期、選手の数が圧倒的に不足していた時代まで遡(さかのぼ)らないと見当たらない。その後の球史を辿れば、金田正一、江夏豊、堀内恒夫、平松政次、桑田真澄など、バッティングのいいピッチャーはいた。それでも、子どもの頃からの「エースで4番」を貫いたプロ野球選手はひとりもいない。

 だから、そんなことが叶うはずがないと、二刀流なんて中途半端だ、どうせケガをする、プロを舐めるなという大合唱が球界に沸き起こった。しかしファイターズは1年間、試行錯誤を繰り返しながらも、大谷を、投手としても野手としても超一流の選手に育てようと取り組んできた。ピッチャーに専念すれば10年にひとりの超一流、バッターに専念しても10年にひとりの超一流、ならばそれを両方こなせば、どちらも一流の選手は100年にひとりだという信念のもと、大谷の二刀流をバックアップしてきたのだ。栗山英樹監督は、こう話していた。

「最初に(大谷)翔平を見たのは、彼が高校2年の6月。テレビの企画で震災後の気仙沼の高校を追い掛けていて、その練習試合の相手が花巻東だった。その試合を取材しに花巻へ行って、その時、ネット裏から翔平のピッチングを初めてナマで見たんだけど、ホントにビックリしたよ。こんな角度のある速い球を投げるピッチャーがいたのかって……高校野球の取材をしてきて、あんな球は初めてだった。いろんなピッチャーを見てきたけど、翔平は唯一無二の存在だった。その翔平が2年の夏、甲子園に出てきて、帝京との試合でアウトコースの低めをレフトへフェンス直撃のライナーを打ったのを、これもナマで見た。バッターとしての翔平でいうと、あの一打が忘れられない。引っ張って大きな打球を打つ高校生は甲子園で何人も見てきたけど、あのコースを逆方向へ、スタンドへ入っちゃうんじゃないかいう低い弾道の打球を飛ばせるバッターがいたのかって、度肝を抜かれた。そんなピッチャーで、そんなバッターなんだよ。翔平はふたりいると思って当然でしょ(笑)」

 大谷は、どちらかに絞るために二刀流への挑戦をしているのではない。投手としても野手としても、もっと上のレベルの選手になるために、二刀流に挑戦しているのだ。吉村はこうも言った。

「やるだけやってダメならとよく言われますけど、明らかにダメじゃない才能を持っているわけですから、いずれどちらかに絞るというのは馴染まない発想です。僕らが考えているのは、4番でエース。そのために、現実の中で問題点を取り除いていこうとしているわけです。将来的には、4番を打つ選手が、エースとして週に1回、先発する。週に5試合は野手で出て、1試合は先発する。そこが着地点です。僕は常々、日本の野球界は才能を殺していると思っている。才能を伸ばすのではなく、一個一個、ハサミで切りながら、選手を作っちゃっている。でも僕は、絶対に才能を潰すことはしたくない。今、ふたつの才能を持っている選手がいる。その才能をふたつとも伸ばそうとしているという、極めて当たり前のことをしようとしているだけなんです」

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