【プロ野球】防御率No.1、吉川光夫(日本ハム)『6年目の覚醒』のワケ (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

 また、昨年ファームで吉川とバッテリーを組み、4月末に日本ハムから阪神に移籍した今成亮太は吉川の変化を次のように語っている。

「今年のキャンプの段階から全然違いました。体が突っ込まなくなり、リリースが安定した。それに左腕が体から離れなくなったことで、制球力が上がったと思います」

 つまりフォームが安定したことで、真っすぐの質も制球力も向上したというわけだ。その吉川の活躍を、いち早く予感していたのが、母校・広陵高の中井哲之監督だった。

「昨年11月にフェニックスリーグで吉川と対戦したウチのOBの選手が、オフに来た時に言うんですよ。『吉川がすごい球投げていましたよ』って。それを聞いて今年はやってくれるかも、と思っていたんです」

 これまで多くの逸材を見てきた中井監督でも、吉川のストレートは忘れられないという。2年春から背番号1を背負い、甲子園には届かなかったが練習試合では8イニングで21奪三振を記録するなど、能力は際立っていた。

「球速なら150キロをマークしていた有原航平(現・早稲田大)でしょうけど、ベースの上の勢いなら間違いなく吉川。あの伸びを見た時は、こういう選手がプロに行くんだなと思いました」(中井監督)

 高校時代、1学年下には野村祐輔(広島)がおり、ふたりはブルペンで並んでよく投げていた。しかし、時折、野村がブルペンに入るのを嫌がった時があったと、中井監督が証言する。

「あまりに吉川の調子がいいと、『今日は辞めておきます』って野村が言うんですよ。並んで投げたら自然に力んでしまうし、調子がおかしくなることがわかっていたんでしょう。それくらい吉川のボールは素晴らしかった」

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