検索

【MLB日本人選手列伝】岡島秀樹 個性的な投法と高い適応力で世界一も経験した左のセットアッパー (2ページ目)

  • 杉浦大介●取材・文 text by Sugiura Daisuke

【身につけていったメジャーで通用する条件】

ボールのリリース時には下を向く独特な投法で次々と打者を討ち取った photo by Getty Imagesボールのリリース時には下を向く独特な投法で次々と打者を討ち取った photo by Getty Images

 もっとも、投げ方の物珍しさだけで通用する期間には限界がある。アメリカでの中継ぎ投手は入れ替わりが激しいことから「Revolving door(回転ドア)」と称され、「リリーフ左腕の"賞味期限"は慣れられるまで」と少々乱暴な言い方をされることさえある。実際に打者に見極められてしまった投手は、他地区、あるいは他リーグに移って目先を変えるパターンがよく見受けられる。ただ、岡島は5年目の途中までレッドソックスに残り、防御率は2年目も2点台、被打率も3年目までは常に2割5分以下だった。こうして複数年で効果を保ったことは、単なる"トリックピッチャー"ではない岡島の総合力を物語っていたのだろう。

 ア・リーグ某チームのスカウトは岡島をこう評していたのが思い出される。

「最初は私たちも岡島は単に物珍しいだけのピッチャーかと思った。しかし彼はカーブが思ったとおりの効果を発揮しないとみると、2年目にはチェンジアップを取得する器用さも見せた。そしてそれをコーナーに投げ分ける制球力も持っていた。メジャーで成功するために必要な適応能力を見せたがゆえに、左殺しのワンポイントではなく、多様な使い方さえ可能になったんだ」

 マウンド上でのクレバーさ、適応能力、制球力があれば、圧倒的な球威がなくとも活躍できる。それらを備えていれば、左対左の利点や、フォームの見極め難さだけに頼る必要はない。のちに高橋尚成が同じく低評価を覆し、ニューヨーク・メッツなどで好投する過程で示した「メジャーで通用する条件」を、岡島は先んじて満たしていたと言えるのだろう。

 そんな岡島もレッドソックスでの4、5年目は成績が大きく降下した。一度日本に帰ったあとの2013年、オークランド・アスレチックスの一員としてメジャー復帰を果たした際にも活躍はできなかった。それでも岡島のメジャーキャリアが実り多きものだったことは、レッドソックスのセオ・エプスタインGMのこんな言葉からも明らかだ。

「岡島は入団時の私たちの期待をはるかに超える働きをしてくれた。特に2007年の世界一を大きく助けてくれたからね」

 その働きをボストニアンも忘れてはいない。これから先もボストンに戻ってくるたび、岡島はレッドソックスファンから常に大きな拍手で迎えられるはずである。

【Profile】おかじま・ひでき/1975年12月25日、京都府出身。東山高(京都)。1993年NPBドラフト3位(読売)。2006年11月にフリーエージェントとしてボストン・レッドソックスと契約。NPB復帰から1シーズンを経て、2013年2月にオークランド・アスレチックスとマイナー契約。
●NPB所属歴(15年):読売(1995〜2005)―北海道日本ハム(2006)―福岡ソフトバンク(2012、14)―横浜DeNA(2015)
●NPB通算成績:38勝40敗50セーブ74ホールド81ホールドポイント(549試合)/防御率3.19/投球回739.2/奪三振760
●MLB所属歴(6年):ボストン・レッドソックス(2007〜11)−オークランド・アスレチックス(2013) *すべてアメリカン・リーグ
●MLB通算成績:17勝8敗(266試合)/防御率3.09/投球回250.1/奪三振216 *プレーオフ(3年):0勝0敗(17試合)/防御率2.11/投球回21.1/奪三振16(2007〜09)
●主なMLBタイトル&偉業歴:ワールドシリーズ優勝(2007)

著者プロフィール

  • 杉浦大介

    杉浦大介 (すぎうら・だいすけ)

    すぎうら・だいすけ 東京都生まれ。高校球児からアマチュアボクサーを経て大学卒業と同時に渡米。ニューヨークでフリーライターになる。現在はNBA、MLB、NFL、ボクシングなどを中心に精力的に取材活動を行なう

2 / 2

キーワード

このページのトップに戻る