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野茂英雄と大谷翔平 「共通点は......」 元チームメートで現ドジャース解説者が語る野茂の素顔と大谷の存在 (2ページ目)

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

【野茂と大谷――それぞれが際立つものとは?】

――6月になると、野茂は先発で6連勝を飾り、「ノモマニア」と呼ばれる大ブームが巻き起こりました。

「あれは本当にすごかったですね。私たちも楽しかったし、今でも鮮明に覚えています。野茂はまさに"社会現象"でした。大谷とは違って、登板は5日に一度だけですが、その日はすべてが止まった。アメリカ人選手を含め、あんなに人気を集めた野球選手は見たことがありませんでした。彼の周りには常に日本のメディアがいて、どこへ行っても追いかけられていました。

 でも、熱狂したのは日本人ファンだけではなかった。登板日になると球場全体がカメラのフラッシュで光り輝いたんです。今のようにスマートフォンがある時代ではありませんでしたが、当時のカメラのフラッシュが一斉に光る。その光景は、今も忘れられません」

――あなたは選手として野茂と一緒にプレーし、現在は解説者として大谷を見ています。ふたりに共通点はあると思いますか?

「正直に言えば、共通点はあまりないですね。翔平は、もしかすると史上最高のフィジカルを持った野球選手かもしれません。世界中の野球選手のなかでも、最も才能に恵まれた存在だと思います。一方で、ヒデオは特別な身体能力を持っていたわけではありません。ただ、"競争心の強さ"に関しては、ヒデオに匹敵する選手はほとんどいない。彼の闘志は本当にものすごかったんです。

 もちろん、私は翔平に闘志がないと言っているわけではありません。ただ、ヒデオの"純粋な競争心"や、"身体がどんな状態であっても戦い続ける姿勢"は際立っていました。一方で翔平には、フィジカルの面で本当に信じられないほどの才能がある。ヒデオは腕がもげそうな状態でも、平然とボールを受け取る。だから私たちチームメートは、そんな姿勢を心から愛したんです。"死ぬまでマウンドに立たせてくれ"――彼はまさにそんな気持ちで投げていたと思います」

――最近、野茂に会う機会はありましたか?

「実は7月にロサンゼルス国際空港(LAX)で偶然会ったんです。私はFOXのテレビ解説の仕事を終えて帰宅するところで、目の前に彼が立っていて、『あれ、ヒデオ?』と声をかけました。すると彼も気づいて、『おお!』という感じで、私たちは抱き合いました。

 その場でしばらく立ち話をしましたが、主に家族の話題でしたね。私は彼の息子のことをよく覚えています。ヒデオには息子がいて、当時、私の妻がよく日本語の歌を歌ってあげていたんです。球場には"子ども部屋"があり、選手たちは試合中そこに子どもを預けていたのですが、そこで妻が彼の息子に歌を聞かせていた。だから再会したときも家族の話で盛り上がりました。久しぶりに会えて本当にうれしかったですね」


 野茂は多くを語る人物ではない。だからこそ1995年についても、まだ語られていない部分が数多く残されている。しかしキャロスの証言を通じて、あの年、野茂がどれほどの覚悟を持ってマウンドに立ち、そしてアメリカの仲間たちに強烈な印象を残したのかが浮かび上がった。

 そのレガシーは今も脈々と息づいている。大谷、そして山本――ふたりのキャリアは、野茂が切り開いた道の先に続いているのである。

著者プロフィール

  • 奥田秀樹

    奥田秀樹 (おくだ・ひでき)

    1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

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