大谷翔平、ダルビッシュ有とも縁のあるDバックスコーチが見た王者ドジャースと「それがベースボールだ」の意味

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

大谷翔平はドジャースでも献身的な姿勢で日々試合に臨んでいる photo by AP/AFLO大谷翔平はドジャースでも献身的な姿勢で日々試合に臨んでいる photo by AP/AFLOこの記事に関連する写真を見る

 ナ・リーグ西地区で首位を独走するロサンゼルス・ドジャースだが、5月20日からのアリゾナ・ダイヤモンドバックスとの3連戦に負け越してから今季初の5連敗。Dバックスは、昨季、ポストシーズンで3連敗を喫した因縁の相手ゆえ、本拠地でのリベンジを目論んでいたはずが、返り討ちに遭った格好だ。

 そのDバックスのコーチには、大谷翔平のメジャー移籍時に積極的に興味を示し、監督としてダルビッシュ有の復帰期間に携わった生粋の野球人がいる。

 はたして彼にとって、ダルビッシュの日米通算200勝、メジャーを代表する選手となった大谷、ライバルとしてのドジャースをどう見ているのか。現地で聞いた。

【ダルビッシュ200勝を称えた恩師】

 昨季のナ・リーグ王者、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの参謀役を務めるジェフ・バニスターベンチコーチは2015年から18年までテキサス・レンジャーズの監督で、ダルビッシュ有(現サンディエゴ・パドレス)が右ヒジ側副靱帯再建術(通称トミージョン手術)からカムバックした時期にチームを率いていた。筆者は当時、ダルビッシュ担当だったので、毎日お世話になっていた方だ。

 5月19日(日本時間20日)にダルビッシュが日米通算200勝を成し遂げた翌日、バニスターコーチは、元監督の立場から笑顔でその偉業について話してくれた。

「トミージョン(手術)で1年間投げられなかったが、しっかり復活して、偉業を成し遂げた。誇りに思う。有は素晴らしい才能に恵まれた投手なので、肩、ヒジの大ケガさえなければこのリーグで長く投げられる。当時の私は短期的なことだけでなく、長期的なことも考えなければならないと思っていた。200勝は、私にとってもうれしい」

 バニスターは、1986年に高校から捕手としてピッツバーグ・パイレーツに入団。以来、選手として8年、コーチ、監督として30年、この世界だけで生きてきた生粋の野球人である。

 ダイヤモンドバックスは昨季の公式戦ではドジャースに16ゲーム差をつけられ、ナ・リーグ西地区2位。ポストシーズンには滑り込みでの進出だった。しかしながら地区シリーズでドジャースと対戦すると3連勝のスイープ。公式戦は5勝8敗と相性が悪かったのに、ポストシーズンでは一度もリードされることなく圧倒した。

「ドジャースは伝統あるすばらしい球団。選手層も厚いし、スーパースターたちもいる。しかしながら野球というゲームは、スーパースターが集まれば勝てるというものではない。チームとしていかにうまく機能するか。私がベースボールというゲームを好きなのはそういう部分だ」と長年の経験から語る。

 今季も層の厚いドジャースには、公式戦ではかなわないかもしれない。だがポストシーズンに出れば、「短期決戦だと、何が起こるかわからないからね」と言う。

 ダイヤモンドバックスは5月19日時点で22勝25敗の借金生活だった。先発右腕のメリル・ケリーは右肩の痛みを訴え、左腕エデュアルド・ロドリゲスは腱板筋の損傷、遊撃手のヘラルド・ペルドモが右ヒザの半月板損傷、中堅手のアレク・トーマスが左太もも裏の負傷でそれぞれ戦線離脱している。

「言うまでもないが、うちでは誰ひとり、現状に満足はしていない。でも言い訳もしない。今いるメンバーでチームに勢いをつけ、勝ち星を積み重ねていきたい」

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著者プロフィール

  • 奥田秀樹

    奥田秀樹 (おくだ・ひでき)

    1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

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