「この先、野球を続けるのはしんどいな」と考えていた西田陸浮がなぜホワイトソックスから11巡目でドラフト指名されるまでに至ったのか (4ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文text by Shiratori Junichi

――まずは2年制のマウントフッド・コミュニティ・カレッジに進学しますが、そこを選んだ理由や1年目の目標を聞かせてください。

西田:僕は「プロ野球選手になろう」とはまったく考えていなかったので、とりあえずNCAA ディビジョン1に所属する強豪の4年制大学に入ることを目標にプレーしていました。でも、正直に言うと、野球よりも勉強のほうがキツかったです(苦笑)。

――言語の違いもあると思いますが、西田選手はどのように野球と勉学を両立されたのですか?

西田:それまではあまり勉強に時間を割いていなかったんですが、高3の夏の大会が終わった頃からアスリートブランドさんが提携している塾に通い、大げさではなく「A、B、C」から勉強を始めて(苦笑)。少し話せるようになったところでアメリカに渡りました。

 留学後も、日本人の僕は通常の大学の授業に加えて、「ESLクラス」という英語の授業を受ける必要があった。夏休みも学校に通い詰めて何とか卒業して、オレゴン大学の3年次に編入することができたんです。

――語学が堪能ではなくても、留学することができるんですね。

根本:選手のご両親や、部活動の顧問の先生とスポーツ留学の話をすると、「うちの子は英語ができないから......」とすぐに可能性を否定される方もいらっしゃるんですが、帰国子女などでない限り、英語を話せないのは当たり前です。アメリカの大学は新年度が8、9月から始まるので、高校の部活に区切りをつけてからでも十分に間に合わせることができます。言葉の壁さえ乗り越えられたらチャンスは広がりますから、「語学を理由に可能性を閉ざさないでほしいな」と思っています。

(後編:米ドラフトの裏側「スカウトと食事、18チームの方と話をさせていただいた」>>)

【プロフィール】
●西田陸浮(にしだ・りくう) 

2001年5月6日生まれ、大阪府育ち。内野手。身長168㎝。東北高校で1年生からスタメンで活躍し、卒業後に渡米。2年制大学を経て、オレゴン大学に編入(3年次)してからも好成績を残し続け、今年7月のMLBドラフト会議でシカゴ・ホワイトソックスから11巡目で指名された。

●根本真吾(ねもと・しんご)

1968年、埼玉県春日部市生まれ。アスリートブランドジャパン株式会社代表取締役。前職はミズノ株式会社で⽶国市場向け野球⽤具企画担当、⽇本⼈MLB選⼿対応、アトランタ五輪関連等、草の根からトップアスリート対応まで米スポーツ現場での体験により国や⾔葉、⽂化を超えるスポーツの持つパワーを実感。スポーツ留学という⾔葉がない時代にスポーツ留学会社を創業し今年の秋で満20 年。サポート⽣では⻄⽥陸浮選⼿のMLBドラフト指名をはじめ、アメリカの⼤学最⾼峰大学で奨学⾦付きでプレーする選⼿を輩出。選⼿以外でもUC バークレイ進学、⼤⼿企業就職や起業後に上場企業からM&A され⼦会社社⻑になった⽣徒など多⽅⾯で活躍している若者を輩出中。「スポーツで世界の⼈々を繋げる」をミッションにスポーツをきっかけに世界に挑戦する若者を絶賛⽀援中。スラムダンク奨学⾦留学担当。室伏広治選⼿マネジメント(現在は終了)。元徳⼭⼤学特任教授。

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