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大谷翔平の同級生、小原大樹は言い切った。
アメリカに「生きる場所がある」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 小原は、カウントを取りながら、まずは左バッター、そして右バッターに投げた。最後に左バッターが立つとイメージして、スカウトが言った。

「ヘイ、ダイキ、バッターはショウヘイ・オオタニだ」

 左バッターボックスに立っている大谷を追い込んだ小原は、決め球にチェンジアップを投げた。すると、スカウトが叫んだ。

「オー、ヒット・バイ・ピッチ!(デッドボールだ)」

 小原は苦笑いを浮かべた。

「いやぁ、最後、決めにいこうとしたら、力んで当てちゃいました」

 テストを終えた小原に、アメリカへ死に場所を探しに来たのか、生きる場所を探しに来たのか、訊いてみた。すると小原はキッパリとこう言い切った。

「生きる場所がここにあると思って来ています。メジャーをナメるなってたくさんの人に言われましたけど、でも野球選手としての自分が死んだかどうかは、僕にしかわからない。今はもっと上の世界で野球をやりたいし、野球ができる環境を追い求めたい。その結果、チャンスをもらえるなら最善を尽くせるように頑張りたいんです。野球っていつまでもできるものじゃないし、その限られたあっという間の時間のなかで、いかに自分ができるのかというところに挑戦したい。夢に対して、中途半端な気持ちで終わりたくないんです」

 小原は、ダイヤモンドバックス、ドジャースに続いて、マリナーズのテストにも合格することはできなかった。引き続き、彼は日米の独立リーグでプレーすることを目指してアメリカでトレーニングを続ける。小原はこう言っていた。

「どんな結果になろうとも『オレはこうやってきたんだ』ということを、自信を持って言える自分でありたい。そのために、心の灯が消えるまで、野球をやり切りたいんです」

※小原大樹投手は、国家非常事態が宣言されたアメリカの状況を受けて、3月20日に帰国することになりました。

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