マック鈴木が結城海斗に伝授。マイナーからメジャーに這い上がる術

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Kyodo News

マック鈴木インタビュー(前編)

 7月8日、カンザスシティ・ロイヤルズが会見を開き、16歳の結城海斗とマイナー契約を結んだことを発表した。このニュースを聞いて、真っ先に思い出したのがマック鈴木氏(鈴木誠)だ。

 1992年、滝川二高(兵庫)を中退した鈴木氏は渡米。1Aの独立球団、サリナス・スパーズの洗濯係としてアメリカでのキャリアをスタートさせ、翌年には同じく1Aの独立球団、サンバーナーディーノ・スピリッツで4勝4敗12セーブと活躍。その年のオフにメジャーのシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶ。

 1996年にマリナーズでメジャーデビューを果たし、日本人3人目のメジャーリーガーとなった。その後、1998年にメジャー初勝利を挙げると、ロイヤルズ時代の2000年にはシーズン8勝をマーク。メジャー6年で通算16勝(31敗)を記録した。

 いわば鈴木氏は、アマチュア選手がメジャーにまで上り詰めた「第一人者」である。その鈴木氏に、マイナーからメジャーへいかにして這い上がっていったのかを振り返ってもらい、結城選手にエールを贈ってもらった。

日本の高校には進まず、ロイヤルズとマイナー契約を交わした結城海斗日本の高校には進まず、ロイヤルズとマイナー契約を交わした結城海斗 まずは大好きだった野球が、これからは仕事になります。「痛い」とか「しんどい」とか、簡単に言えなくなります。ドミニカやベネズエラには16歳でメジャーに挑戦する選手が普通にいますし、そうした素質のある選手がたくさん集まってくるのがアメリカです。

 そのなかで、ケガやホームシックにかかり、思うような結果を残せず、志半ばで帰国した選手は数え切れないぐらいいます。

 僕がアメリカに行ったときは、まだ日本人がメジャーに挑戦することが考えられない時代でした。今であれば、日本のプロ野球を経由してから挑戦するなど、いろいろな選択肢があります。もちろん、若くしてメジャーに挑戦するということは、素晴らしいことだと思いますが、とてつもなく厳しい世界であるということを認識しておかなければなりません。

 たとえば、日本で高校野球をやったとして、1年のときに肩を痛めたとします。よほどのことがない限り、いい治療院を紹介してもらったり、休める時間はできると思うんですよ。でも、アメリカへ行ってしまえば、アイシングとウルトラサウンド(超音波治療器)で終わりです(笑)。ひとりの選手のために治療することなんてありえません。

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