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マック鈴木から結城海斗へ助言。
「なんでもマネ」で英語はうまくなる

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Reuters/AFLO

マック鈴木インタビュー(後編)

 16歳でアメリカに渡り、マイナーからメジャーにまで上り詰めたマック鈴木氏。前編ではマイナーリーグの野球について語ってもらったが、今回はアメリカでプレーする上で欠かせない英語上達のコツについて聞いた。鈴木氏はいかにして英語を覚えていったのか。

前編はこちら>>

1996年にマリナーズで日本人3人目となるメジャーデビューを果たしたマック鈴木氏1996年にマリナーズで日本人3人目となるメジャーデビューを果たしたマック鈴木氏 アメリカで野球をする以上、必要になってくるのが英語です。僕はなんでもマネして覚えました。サンバーナーディーノ・スピリッツ(1A)の途中からピッチングコーチが「マック、もうひとりで大丈夫だろう」と、遠征では通訳なしでした。

 英語が上達したきっかけは、もう亡くなられたのですが、当時、サンフランシスコに在住していた荒井一悦(かずよし)さんというカメラマンからのアドバイスがあったからなんです。

「まこっちゃん、新聞のスポーツ面に全球団の試合結果が載っていて、そこにピッチャーのコメントがあるから、それを欠かさず読んで記憶するといいよ」って。

 たとえば、3回でKOされたピッチャーがいるとします。そのコメントは、審判に文句も言わず、味方のエラーがどうこうじゃなく、自分のピッチングがこうだった、という内容。それを覚えて、僕が試合で同じような結果だったとき、試合後に受ける取材でそのコメントをマネするんです。僕にとっては最高の教科書でした。

 荒井さんは「そういうことを積み重ねて、英語を覚えていけばいいんじゃないか」って教えてくれたんです。なにより、日本人は僕しかいなかったですからね。24時間、ずっと英語の授業を受けているようなもんですよ(笑)。

 日常生活もすべてマネでした。食事に行っても、言葉がわからないから注文できない。そこで注文している人を見て、「こうやって言えば、あれが頼めるんや」って、そればかりでした。

 最初はマネしても発音が悪いから通じないんですが、あるときから完全に伝わるようになって、それからはジョークも言えるようになった。ただ、しっかりとした勉強はしていないので、ボキャブラリーは少ないんです(笑)。

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