渡辺俊介、メジャー挑戦中。変則型ピッチャーは成功できる?

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu photo by AFLO

 いよいよメジャーリーグのキャンプが始まりました。連日、東北楽天からニューヨーク・ヤンキースに移籍した田中将大投手が大きく報じられていますが、日本からもうひとり、ワールドベースボールクラシック(WBC)を経験したピッチャーがメジャーに挑戦しています。昨年まで千葉ロッテでプレイし、今オフにボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ渡辺俊介投手です。

サブマリン投法で1980年代に活躍したダン・クイゼンベリーサブマリン投法で1980年代に活躍したダン・クイゼンベリー 渡辺投手といえば、「世界一リリースポイントが低い」と評されるアンダースローが最大の特徴でしょう。メジャーの過去を紐解くと、アンダースローやサイドスローといった変則スタイルで成功した例はいくつもあります。そもそも19世紀半ばまで野球というゲームは、ピッチャーがアンダースローで投げていました。バッターが打ちやすいように緩く投げるためです。しかしその後、プロリーグが誕生すると、次第にアンダースローからオーバースローに移行し、ピッチャーが速いボールを投げてバッターを打ち取る、という現在のスタイルが確立しました。

 ただ、近代野球になっても、アンダースローやサイドスローの変則型ピッチャーは存在しました。20世紀初頭で最も有名な変則型ピッチャーといえば、「人間機関車」と呼ばれたウォルター・ジョンソン(1907年~1927年)でしょう。1907年からワシントン・セネタースひと筋で21年間プレイし、サイ・ヤングに次ぐ歴代2位の通算417勝をマーク。「史上最高のピッチャー」と称されるジョンソンは、サイドスローで時速100マイルの剛速球を投げた伝説の投手です。

 一方、同じ時代には、アンダースローで通算208勝を挙げたカール・メイズ(ニューヨーク・ヤンキースなど/1915年~1929年)というピッチャーもいました。しかし、1920年のクリーブランド・インディアンス戦で対戦相手のレイ・チャップマンの頭部にデッドボールを与え、死亡させてしまったのです。それを機に、野球のルールが大きく変わりました。それまでの野球はピッチャー主導で、たとえば審判から新しいボールを渡されると、ピッチャーはボールの軌道を変化させやすいように踏みつけて傷つけたり、土でボールを汚して見えづらくしていました。しかし死亡事故が起きたことでそのような行為は禁止となり、オーバーハンドから見えやすいように投げるのが良しとされる風潮になったのです。

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