上原浩治が辛口のボストンメディアに愛されたワケ

  • 佐藤直子●文 text by Sato Naoko
  • アフロ●写真 photo by AFLO

 レッドソックスが、1918年以来95年ぶりに、本拠地フェンウェイパークで世界一を決めた瞬間、マウンドに立っていたのは他でもない、守護神・上原浩治だった。1勝3セーブを挙げてMVPに輝いたリーグ優勝決定シリーズに続き、ワールドシリーズでは5試合に登板し、2セーブを挙げる活躍ぶり。MVPこそ、打率6割8分8厘という驚異の数字と存在感を見せつけた"ビッグパピ"ことデビッド・オルティスに譲ったが、米メディアの上原評は、軒並みMVPに匹敵する高さだった。

優勝パレードで沿道に詰めかけたファンに手を振る上原浩治優勝パレードで沿道に詰めかけたファンに手を振る上原浩治

 そもそも、地元ボストンのメディアは、辛口で知られている。いいところを褒めるというより、少しでも隙を見せれば疑問を呈する。疑問を呈するというよりも、完膚なきまでに叩きつぶす。日本人の記憶に残るのは、やはり契約時に掛けられた無限大の期待に応えられなかった松坂大輔(現メッツ)に対する批判記事であり、昨季20年ぶりの地区最下位に低迷したボビー・バレンタイン前監督へのバッシングだろう。だが、今年はチームが快進撃を続けたことも大いに影響しているのだろうが、実にポジティブな記事が多かった。

 その中でも、無視できなかったのは守護神問題だ。春先にクローザー候補だったジョエル・ハンラハン、アンドリュー・ベイリーが負傷と不調で、当初の期待を裏切る形に。どうにかならないものかと、誰もが頭を悩ませたところへ、風のように現れて、続々とアウトの山を築き上げたのが上原だった。首脳陣やファンはもちろん、メディアすらも溜飲を下げたに違いない。

 本来、疑り深いボストンのメディアは、当初、上原の活躍を期待していなかった。上原個人に対する思い云々ではなく、裏切られた時の失望感を少なくするための自己防衛のためとも言える。だが、逆に期待が大きくなかったことが、後の上原株急騰につながることになるのだから面白い。

 ちなみに、2月にキャンプインした時点で、ファレル監督に上原を守護神として起用するプランはなかった。投手コーチ出身のファレル監督は、どちらかと言えば"パワーアーム"と呼ばれる球速95マイル(約152キロ)以上を計測する豪腕投手を好む。上原はといえば、90マイル(約144キロ)前後のフォーシームと83マイル(約133キロ)前後のスプリットが主な持ち球。そのため、ファレル監督はクローザーとしてよりもセットアッパーの方が持ち味を生かせると考えていたようだ。

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