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三振を奪いまくるダルビッシュに全米中が熱狂するワケ (2ページ目)

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu
  • photo by AFLO

 ストレート1本だったジョンソンの例は特殊ですが、時代とともに球種が増えたことで、ストレートだけでなくハイレベルな変化球をも駆使する豪腕ピッチャーが誕生してきました。まず、1965年に当時メジャー記録のシーズン382個の奪三振を記録したサンディー・コーファックス(当時ロサンゼルス・ドジャース)は、左腕からの大きく割れ落ちるカーブです。もちろんストレートの威力あってこそですが、カーブを使い分けることで三振を奪いまくったのです。さらに1972年、シーズン310奪三振を記録したスティーブ・カールトン(当時フィラデルフィア・フィリーズ)の武器は、メジャー最高と評されるスライダーです。そして、1986年にシーズン306奪三振をマークしたヒューストン・アストロズのマイク・スコットの武器はSFF(スプリットフィンガード・ファストボール)。魔球と呼ばれた新しい変化球を修得し、三振の山を築きました。

 かつては先発ローテーションを4人で回し、登板回数が多かったのでシーズン300奪三振も夢の数字ではありませんでした。しかし1980年代以降、5人の先発ローテーションが確立されると、シーズン300個の三振を奪うのは至難の業です。そんな中、90年代にシーズン300奪三振を記録した豪腕が出現しました。それは、ペドロ・マルティネス、カート・シリング、そしてランディ・ジョンソンの3人です。

 チェンジアップを武器としたペドロ・マルティネスは、1997年のモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)時代に305奪三振をマーク。さらに1999年のボストン・レッドソックス時代にも313奪三振をマークし、3度のサイ・ヤング賞に輝きました。一方、カート・シリングはさまざまな球種で三振の山を築いたピッチャーです。フィラデルフィア・フィリーズ時代の1997年に319奪三振、そして翌年も300奪三振を記録。さらに2002年のアリゾナ・ダイヤモンドバックス時代にも316奪三振と、計3度のシーズン300奪三振以上をマークしました。

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