【MLB】楽天入りするA・ジョーンズは、こんなにスゴい奴 (2ページ目)
1990年代終盤、メジャーリーグでは、マーク・マグワイア(当時セントルイス・カージナルス)や、サミー・ソーサ(当時シカゴ・カブス)、バリー・ボンズ(当時サンフランシスコ・ジャイアンツ)らが『世紀のホームラン競争』を繰り広げたことで、「誰がハンク・アーロンの通算本塁打記録(755本)を破るのか?」という話題で持ちきりでした。そんなホームラン全盛時代に、A・ジョーンズはレギュラーとなってから3年間(1997年~1999年)で、早くも75本塁打を記録。ケン・グリフィー・ジュニアよりも早いペースで本塁打を量産したのです。その結果、A・ジョーンズもその候補のひとりとして加わることになりました。レギュラー3年目の若手が候補に挙がるのは、実に異例なことです。それほどA・ジョーンズは、将来を嘱望された選手でした。
一方、A・ジョーンズもその期待を裏切ることなく、順調に結果を残していきました。毎年コンスタントにホームラン30本前後を放ち、2005年には当時史上4番目の若さ(28歳144日)で、通算300本塁打に到達。その年、両リーグ通じてトップとなる51本塁打・128打点をマークし、二冠王にも輝きました。50本塁打の大台到達は、アメリカ人以外の選手としてはソーサに次ぐ史上ふたり目の快挙です。さらに2006年にも、A・ジョーンズは41本塁打をマーク。殿堂入りしたハンク・アーロンとエディ・マシューズに次ぐ、球団史上3人目の『2年連続40本塁打』を記録し、ブレーブスの歴史に名を残すスラッガーへと成長したのです。
また、A・ジョーンズの注目すべき点は、バッティングだけではありません。1997年から2000年まで、4年連続で20盗塁以上をマーク。デビュー当初は、「前人未到の『シーズン50本塁打・50盗塁』を成し遂げるのでは?」と期待されたほど、スピードも兼ね備えた存在でした。
さらに特筆すべき点は、A・ジョーンズの守備でしょう。1998年から2007年まで、10年連続でゴールドグラブ賞を受賞。外野手としては、ウィリー・メイズ(元サンフランシスコ・ジャイアンツ)とロベルト・クレメンテ(元ピッツバーグ・パイレーツ)の12年連続に次ぎ、そしてケン・グリフィー・ジュニアの10年連続に並ぶ、史上4人目の『連続受賞回数』を記録しました。その後、イチロー選手(当時マリナーズ)も外野手として10年連続で受賞したのは、ご存じのことだと思います。
またA・ジョーンズは、メイズとリッチー・アッシュバーン(元フィラデルフィア・フィリーズ)ら名外野手に次ぐ史上3人目の『5年連続400刺殺』という快挙も、1998年から2002年にかけて残しています。当時、アメリカでは「メイズ以来、最も広い守備範囲と強肩を誇るセンター」と評価されていました。ブレーブスの名将ボビー・コックス監督は、「メイズよりも上だ」と公言しています。つまり「メジャー史上最高の万能選手」と言われるメイズと比較されるほど、A・ジョーンズの守備はすごかったのです。
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