2012.12.23

【MLB】
田澤純一「レッドソックスの育成メソッドのおかげで復活できた」

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • 甲斐啓二郎●写真 photo by Kai Keijiro

1986年6月6日、神奈川県生まれ(26歳)。横浜商大高から社会人野球の新日本石油ENEOS(現・JX-ENEOS)に進む。社会人4年目の2008年、スポニチ大会準々決勝(対JFE東日本戦)で大会新の18奪三振を記録。同年夏の都市対抗野球大会では5試合に登板し、4勝を挙げる活躍で橋戸賞を受賞。この年の9月にメジャー挑戦を表明し、レッドソックスと3年契約を結んだ 今季、開幕をマイナーで迎えたレッドソックスの田澤純一だったが、シーズン終盤にはメジャーに定着し、セットアッパーの地位を確立した。結局、37試合(44イニング)に登板し、1勝1敗1セーブ、防御率1.43の好成績を収めるなど、飛躍の1年となった。アメリカに渡って4年、今季の活躍を振り返るとともにメジャーの育成法についても語った。

―― 今シーズンの成績を振り返って、率直な感想はいかがですか?

「まだまだ数字には満足していませんが、シーズン終盤には大事な場面での登板も増えたし、多くの経験を積むことができました。自分としては来季以降につながる1年になったと思います」

―― この結果を残せた大きな要因は何だと思いますか?

「ヒジの状態が良くなったことですね。2010年4月にトミー・ジョン手術を受けたのですが、今年の4月ぐらいまでしっくりきていなかったんです。キャンプ中もヒジに違和感がありました。おそらく、手術したことで可動域は広くなったのですが、それに伴う筋肉が追いついていなかったんだと思います。私生活でも少し痛みがありましたから。でも、4月ぐらいから徐々に痛みも消えて、ようやく不安なく投げることができるようになりました」

―― そもそも、手術すれば完全復帰するまで最低1年以上はかかるトミー・ジョン手術を決意した理由は何だったのですか?

「アメリカに来て、いちばん苦労したのがボールでした。じつは、高校、社会人時代からヒジに張りがあって、もっと打者に近い位置でリリースしたいのに、ヒジが怖がるというか、自分の離したいところの手前でリリースしてしまっていたんです。ただ、日本で投げていた時は、ボールがしっとりしていることもあって、手前でリリースしてもいいボールがいくんです。でも、メジャー球はごまかしがきかない。同じ位置でリリースするとコントロールが利かなくなる。それで打者に近い位置で投げれば、今度はヒジが張ってしまう。さすがにこの状態で投げ続けるのは厳しいと思って医者に診てもらったら、靭帯が損傷していました。これは手術するしかないと」