甲子園を震撼させた"21世紀の怪物"寺原隼人 158キロを叩き出す直前に見せた剛速球の衝撃 (4ページ目)
【「まだ手放したくない」母の叫び】
寺原が練習試合で155キロをマークしたのは、そのわずか数日後のことだった。
そして、その夏の甲子園。非公式ながら叩き出した「158キロ」(※)の衝撃は、21世紀の幕開けとともに、新時代の到来を予感させた。
※メジャースカウトのスピードガンで158キロを計測。球場の表示は154キロだった
横浜高(神奈川)時代に151キロをマークした松坂大輔が「平成の怪物」なら、その球速を超えた寺原は「21世紀の怪物」と評された。
ただ、実際に会った寺原は、シャイで寡黙な、とても優しい高校3年生だった。中学時代は軟式野球部で、自分では「普通のピッチャーだった」と振り返っていた。それが高校に入って能力が一気に開花した。
急に注目され、メディアの取材が増えていく。その現実に、自分自身がなかなかついていけない......。そんな意味のことを、盛んに口にしては照れていた。こんな素朴ないい子が、いきなりプロ野球の世界に飛び込んで、そのカルチャーショックについていけるのだろうか。そんな疑問を、寺原のお母さんにぶつけてみた。
その日、「ちょっと変わった取材がある」と知って、グラウンドを訪れていたのだ。
「それも心配ですけど、それより私、隼人があと半年ぐらいで家から出て行ってしまうなんてことが信じられないんです! まだ絶対、手放したくないんです。だって、隼人、私のつくったご飯で大きくなったんですよー!」
我慢していた思いを、一気に吐き出したような「叫び」だった。
「私の隼人」は、その5カ月後のドラフトで4球団から1位指名を受け、ダイエー(現・ソフトバンク)に入団。「みんなの寺原隼人」になってしまった。
わかっていても悲しい。さびしい。息子を送り出す「球児の母」の思いが、今でも私の耳にはっきりと残っている。
あれから25年──。そんな「隼人」は現在、ソフトバンクの三軍投手コーチとして、今度は若い投手たちを育てる側になった。
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