【高校野球】「甲子園は行きたいから行ける場所ではない」 全国制覇から33年、母校・育英を率いる安田聖寛が待つ"聖地からの迎え" (3ページ目)
「通算で10試合ほど出させてもらいましたが、打率なんて1割程度(19打数3安打、打率.158)ですよ。でも、腐らずにやり続けた結果、最後の最後にチャンスが回ってきた。今、指導している生徒たちにも『あきらめなければ、いつかチャンスが"迎え"に来てくれる』と実体験として伝えています」
【29歳で指導者の道へ】
大学卒業後は、社会人野球のデュプロ(2008年休部)に入社。日本生命や大阪ガス、松下電器(現・パナソニック)、NTT西日本といった強豪がひしめく関西地区で、泥臭く立ち向かう精神を養った。自身は補強選手として2度の都市対抗を経験。6年間の現役生活を終えた後は、29歳の若さで同部のコーチに就任。指導者としての第一歩を踏み出した。
ただ、社会人チームの指導者生活はわずか1年で幕を閉じることになる。2006年、新シーズンに向けて準備を始めていたその時、本社の社長に呼ばれた。福岡六大学リーグに所属する第一経済大学(現・日本経済大学)の監督就任を勧められたのだ。
「最初は高校時代の恩師からお話をいただいたのですが、デュプロとしても新シーズンへ動き始めていましたし、もちろん、コーチとして不満もなかったので、最初はお話だけ聞いてお断りしようとしました。ただ、社長が『大学が必要としてくれているのだったら行ってこい。やってみて、またこっちに戻ってきたいということであれば、また俺が雇ったるから』と背中を押され、2月末から福岡へ行きました」
ここから、安田は指導者としても強烈な勝負運を発揮する。右も左も、そして部員の名前や特徴もよくわからないまま、就任1カ月後に開幕したリーグ戦で指揮を執り、なんと初優勝へと導いたのだ。
「主将もそうですが、とくにマネージャーと『この子はどんな選手? どんなタイプ?』っていうのをすごく話し合って戦いましたね。万年5、6位のチームやったんですけど、あれこれやりくりして、学生も頑張ってくれました」
その後、2008年夏から系列校である福岡第一高の監督となり、3年ほどが経った頃、育英の理事長から連絡があった。
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