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【高校野球】「甲子園は行きたいから行ける場所ではない」 全国制覇から33年、母校・育英を率いる安田聖寛が待つ"聖地からの迎え" (2ページ目)

  • 内田勝治●文 text by Katsuharu Uchida

 そんな状態で満足のいく打撃ができるはずがない。なんとか打球を前に飛ばすことはできたが、一塁まで走ることすらできずにそのまま途中交代。すぐさま救急車で近くの病院へと搬送された。試合経過を伝えるラジオの音声が響く処置室で、麻酔すら打たず、傷口を3針縫う処置を受けた。

「傷口を縫うことよりも、ラジオのほうが気になって、『俺がおらんくて、ちゃんとやってるかな』とソワソワしていました。処置が終わるとすぐタクシーに飛び乗り、球場へ戻りました」

【全国制覇の先に選んだ明治大】

 8回裏、育英の攻撃中に、痛みすらも忘れてベンチに帰還。脚は曲がらない状態だったが、主将の姿にベンチは大いに盛り上がった。勢いを取り戻したチームは勝ち越しに成功。そのまま3対2で逃げきり、初の甲子園優勝を果たした。その後は宿舎ではなく、病院に戻り、5針を追加した。

 安田がマークした「1大会10四死球」は、夏の甲子園の最多タイ記録となっている。「フォア・ザ・チーム」を体現した結果、夢にまで見た深紅の優勝旗を手にすることができたのだ。

「本当に漫画みたいですよね。試合後の表彰式で、優勝旗を受け取る時は踏ん張れず、倒れそうになりました(笑)。でも、仲間と一緒につかんだあの瞬間の光景は、生涯忘れることはありません」

 卒業後は社会人に進む予定だったが、高校日本代表で同僚となった山根雅仁(元広島)や金子誠(元日本ハム)らのレベルの高さに刺激を受け、東京六大学リーグの明治大学進学を希望するようになる。日下篤監督から「おまえごときが行っても4年間草むしり。明治のレベルをなめたらあかんぞ」とまで言われたが、安田の意志は固かった。

「ありがたいことに高校で負けずに引退させてもらったからこそ、試合に出ることができなくてもいいので、とんでもない世界を見たかったんです。そういう形で明治さんを受験させていただき、進学することになりました」

 伝統の「人間力野球」を掲げる明治大学での日々は、厳しくも充実していた。寮生活での礼儀作法、上級生が背中を見せる伝統は評判どおりで、周囲のレベルも、同級生の川上憲伸(元中日)らを筆頭に高かった。それでもあきらめずに努力を重ね、最後のシーズンとなる4年秋のリーグ戦でスタメンの座をつかんだ。

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