【夏の甲子園2026】「青春って密なので」の原点はあの夏の惨敗 仙台育英・須江航が明かす"日本一1000日計画"のすべて (2ページ目)
この戦術を採用した背景には、仙台育英のチーム事情があったと須江監督は説明する。
「この年は田中、大栄(陽斗/当時2年/トヨタ自動車)と中心投手はいたのですが、継投のバリエーションがもう少しほしいと考えていました。そこで捕手を替えると、配球の組み立ても変わります。『継捕』をすることで、継投と同じ効果があるのではないかと考えました。あとは、選手のモチベーション。『多くの選手にチャンスがあるんだよ』というメッセージを込めたつもりでした」
【木っ端微塵に散りました】
渾身の策だったが、浦和学院の圧倒的な力の前には、なすすべもなかった。守備では蛭間拓哉(西武)の本塁打など12安打を浴び、計9失点。須江監督は「浦学の応援歌が心地よかったことだけは覚えています」と語る。
攻撃は渡邉ら4投手の前に散発4安打に封じられた。0対9の完敗だった。
須江監督はあらためて、「木っ端微塵に散りました」と振り返る。
「すばらしい学びを得ました。個々のフィジカル、スキル、そのスケール感を前にして、何をとっても勝てる要素がありませんでした。チームとしてのベースを上げなければ、全国トップクラスのチームには勝てないとわかりました」
じつは対外試合禁止処分が明けた際に、須江監督は高校球界を代表する名門に練習試合を申し込んでいる。大阪桐蔭、履正社、星稜の3校である。日本のトップ校を体感することで、自分たちの現在地を確認したかった。
大阪桐蔭には10点以上の差をつけられ、完敗。履正社には辛うじて勝利したものの、相手はエースが登板しなかった。星稜には当時2年生だった奥川恭伸(ヤクルト)が投げなかったにもかかわらず、敗れている。
そして、甲子園では浦和学院に完膚なきまでに叩きのめされた。須江監督は独特の表現で総括した。
「当時の選手を悪く言うようで心苦しいのですが、ボクシングで言えば階級が違いました。単純にフィジカルから構成される能力が違いすぎました」
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