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【高校野球】健大高崎にまた怪物出現 2年生エース・石垣聡志、ロッテ1位右腕から受け継いだ魂で群馬3連覇に挑む (2ページ目)

  • 内田勝治●文 text by Katsuharu Uchida

「技術的には真っすぐの握りだったり、悪くなった時の修正方法などを教えてもらいました。自分はけっこう荒れることが多いので、元気さんならそういうなかで、どんなことを考えているのかを聞いたりもしました。でも、一番は、マウンドに上がった時に球場の雰囲気をガラリと変えてしまう存在感、大きな背中がすごく印象に残っています」

 佐藤からも多くのことを学んだ。当時、左肘の内側側副じん帯再建術(通称トミー・ジョン手術)からの復帰を目指し、懸命にリハビリを行なう左腕の背中をずっと見続けてきた。

「龍月さんは投手に復帰して、期間は短かったのですが、技術的にもすごく教えてもらいました。マウンドに上がるなかでの立ち居振る舞いであったり、気持ちの持ちようであったり、メンタル的なことも教わりました」

 プロに進んだ好投手ふたりのエキスを吸収しながら、1年春の関東大会からベンチ入りすると、準々決勝の習志野(千葉)戦、そして決勝の専大松戸(千葉)戦に先発。それぞれ3回1失点、2回無失点に抑え、2年ぶり4度目の関東制覇に貢献した。

 その後もアピールを重ね、夏の群馬大会、そして甲子園でもメンバー入り。聖地での登板こそ叶わなかったが、1年生にして、その雰囲気をグラウンドレベルで味わえただけでも十分だった。

「(甲子園は)これまで経験したことのないような暑さで、熱気がすごかったです。その緊張感のあるなかでプレーするのが高校野球の醍醐味だと思うので、これからは自分がそんな舞台で活躍できるように頑張っていきたいです」

【石垣島への移住が変えた野球人生】

 東京都生まれ。神奈川県横浜市内に転居した5歳から野球を始めた。小学時代は軟式チームに所属。投手のほかに捕手や内野手もこなしながら、野球の技術を磨いていった。

 転機は小学5年、父の仕事の都合で、横浜から石垣島へ、2度目の引っ越しをすることになった時だ。東京、横浜と渡り歩いてきた「都会っ子」が、自然豊かな島へと移ることに抵抗はなかったのだろうか。

「自分は人とのコミュニケーションであったり、そういうのはどこへ行っても基本的には大丈夫なタイプです。石垣島の人たちもすごく優しく接してくれました」

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