【高校野球】豊橋中央が甲子園で披露した「イチロー流走塁」の真相 指揮官の「いえ、あれは...」に隠された驚きの指導力 (2ページ目)
このワンプレーだけでも、豊橋中央が野球に対して細部にこだわり、追求してきたことが伝わってくる。そんな印象を伝えると、長谷川は誇らしいような悔しいような、複雑な表情を見せた。
「見ている人を感動させる野球をするのが、豊橋中央なので。今日は豊橋からたくさんの人がバスに乗って甲子園まで応援に来てくれましたし、(愛知大会の)決勝で対戦した東邦のブラスバンドが演奏してくれていたんです。スタンドのすごい応援が届いていたので、なんとか勝って、感動を届けたかったです」
【イチローから受けた影響ではない】
イチローは愛知県出身である。愛知代表の豊橋中央が、同県出身のスターの提唱する走塁法をマスターした......。そんな筋書きだったら、わかりやすい美談だっただろう。
ところが、取材を進めるなかで意外な事実が判明した。
萩本監督に二塁駆け抜けのプレーについて尋ねてみると、「あれは基本的なプレーなので」と言葉少なに返ってきた。
重ねて、「イチローさんが提唱しているプレーですよね?」と聞くと、萩本監督からこんな反応が返ってきた。
「いえ、あれは昔から基本的なプレーとしてやっています。駆け抜けたほうが速いので。私が指導者になってから、そう教えています」
取材時間が限られていたこともあり、それ以上は尋ねることはできなかった。驚きだったのは、萩本監督がイチローから受けた影響ではないと否定したことだ。
不勉強ながら、私はこの「二塁駆け抜けプレー」が、野球の基本とは認識していなかった。おそらく、多くの読者が同じ認識なのではないか。
だが、偉大な野球人が提唱する以前から、特殊なプレーを「野球の基本」と位置づけ、高校生に教える指導者がいた。その事実に、野球界の底知れなさを感じずにはいられなかった。
結果だけを見れば、豊橋中央は「甲子園初戦敗退」である。
しかし、甲子園に至るまでに、気の遠くなるような積み重ねがあったことを、この走塁が物語っていた。
神は細部に宿る。豊橋中央の野球を再び甲子園の舞台で見てみたい。そう願っているのは、筆者だけではないはずだ。
著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。
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