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【夏の甲子園2025】東北学院「悲運のエース」が語るあの夏の真実 愛工大名電に勝利→出場辞退 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 だが、当事者の認識とはギャップがあったようだ。伊東はこうも語っている。

「チームとして『甲子園で1勝』をスローガンに掲げてはいましたけど、正直言ってイメージしづらかったですね。練習時間も短かった(平日は2時間程度)ですし、夏の大会は県ベスト8が最高でしたから」

 そもそも、東北学院に対する愛校心もなかった。高校受験の際、伊東が第一志望としていたのは公立の仙台三。だが、あえなく不合格に終わり、「滑り止め」として併願した東北学院に進学した。伊東は当時の心境を笑いながら振り返る。

「野球部のなかで、第一志望で(東北)学院に入った子はいなかったんじゃないですか。僕らの頃は男子校だった(2022年より男女共学化)ので、1年生の時は『女の子がほしいな......』と思ってばかりいました。公立校の文化祭に行って、華やかな雰囲気を見て、『うわぁ、学院、マジで嫌いだわ』って、思いましたから」

 チームを指揮するのは、渡辺徹監督。東北学院から亜細亜大に進み、投手や学生コーチを務めたキャリアがある。亜細亜大といえば厳しい野球部で有名だが、渡辺監督が「亜細亜式」を持ち込むことはなかった。伊東は「大好きな先生です」と語る。

「亜細亜出身なのにギラギラしたところがなくて、学生主体で練習メニューも選手たちに決めさせてくれました。人として成長させてくださったと感じています」

【名伯楽の指導でメキメキ頭角】

 技術的な転機も高校時代に訪れた。

 伊東はもともと、自分の技量に対して自信があったわけではない。小学6年時には、12球団ジュニアトーナメントの楽天ジュニアを受験。伊藤樹らが合格を勝ち取るなか、伊東は一次選考で不合格。宮城黒松利府シニアに所属した中学時代は、「出ても125キロくらい」という球速。最後の夏の大会は、2回戦で登板がないままコールド負けを喫している。

 高校2年時に、知人がある指導者を連れてきた。八戸学院大の正村公弘監督(現・亜細亜大監督)。伊東をスカウトする目的もあったようだが、正村監督は技術指導をしてくれた。

「アーム投げになっているから、それを矯正するにはテイクバックを小さくしたほうがいい」

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