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【夏の甲子園2025】準備を徹底したうえでの「ノーサイン野球」弘前学院聖愛・原田監督の次なる目標は「ノー監督野球」 (2ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka

【ノーサインだからこそ監督の仕事は増える】

 ここまでの話を読んで、「なるほど。自分もやってみよう」と思う指導者の方がいるかもしれない。だが、事はそう単純ではない。一筋縄ではいかないのが高校生だからだ。ノーサイン野球で結果を出したことが、逆効果になったこともあった。

「ノーサイン野球だと思って入学してくる子どもたちは話を聞かないんです。『聖愛はノーサイン野球だ。指示待ち人間ではないんだ』と思っているので、指示に従うことよりも、自分で考えることを優先しようとする。いわゆる自意識過剰ですね。入ってきた段階でのシステムエラーです。まずは教えこまないといけない」

 高校野球がどういうものか、聖愛野球がどういうものかもわからないのに、ノーサイン野球などできるわけがない。

「結局は"守破離"なんですよ。守からやらなければいけない。そう言うと『子どもたちは指示待ち人間なのか?』と勘違いされるんですが、そうではありません。最終的には離にしたい。離になるためには、段階があるということなんです」

 聖愛だからノーサイン野球ができるのではない。野球を教え、価値観教育をして、判断基準を明確にする作業をしているからできるのだ。この土台づくりをおろそかにしたり、守破離の順番を守らない限り、永遠にノーサイン野球はできない。

 ノーサイン野球をやろうとすればするほど、監督の仕事は増える。サインを出さない分、選手たちが自分で考え、自分で動くために教えこまなければいけないからだ。

【彦根総合の"ノー監督野球"に刺激】

 今やノーサイン野球が当たり前になった聖愛だが、今年の夏、原田監督が大いに刺激を受けたニュースがあった。それは、ノーサイン野球ならぬ"ノー監督野球"。彦根総合(滋賀)の宮崎裕也監督があえてベンチに入らず、スタンドから観るという決断をしたことだ。

「あれって、理想ですよね。自分もやってみたいと思っています。ベンチにいると見えないこと、わからないことが多いんです。ネット裏の方が圧倒的に見えるし、いろんなことに気づけますから。まずは練習試合でやってみようかなと」

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