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【夏の甲子園2025】ノーサイン野球は自由じゃない! 弘前学院聖愛が実践する「思考力を育てる」高校野球の新しい形 (3ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka

「考えさせる野球をすることによって生徒が育つんです。これは間違いないです。ただ、勘違いしてほしくないのは、決して自由ではないということ。みんなノーサイン野球だから自由にやっていると思っているんですよ。でも、そんなことはない。めちゃくちゃデータを取って、めちゃくちゃ打ち合わせをして、試合中にもめちゃくちゃ会話をしています。

 試合後は、『本当にその選択でよかったのか?』をすり合わせる振り返りをします。ノーサイン野球になって変わったのは、ゲームの前のミーティングの時間と、ゲーム後のミーティングの時間が長くなったこと。それと、ゲーム中の会話が圧倒的に増えたこと。2倍とか3倍じゃないです。圧倒的に、です」

【ノーサインは本質を覚える最高のツール】

 ノーサイン野球はすぐにできるものではない。野球には無数の状況があるからだ。イニング、点差、ボールカウント、アウトカウント、走者の有無、打者が誰で走者が誰か、相手投手、打者の力量はどれくらいか、風向き、グラウンド状況、相手の守備力......。それらをすべて加味して、何をすべきかを選択しなければいけない。当然のことながら、野球を知らなければ考慮すべき条件を見落としてしまう。

 たとえば、聖愛にはアウトカウントによってどうすべきかを明確にするための 「アウトの定義」(攻撃は一死三塁、二死二塁をつくることを目標にする)がある。これを理解していないと、二死二塁から三盗するような選手が出てくる。

 たとえ相手のクセを見抜き、100%セーフになるとわかっていたとしても、この場面では自重しなければならない。なぜならその走塁によって、のちの勝負どころである「一死二塁」の場面で盗塁ができなくなるリスクがあるからだ。

 ノーサイン野球とは、選手が好き勝手にプレーすることではない。事前に徹底した教育を行ない、チームで定めたルールに基づいて判断・行動することが前提なのだ。

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