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「とんでもないのがいまして...」ドラフト候補の隠れた逸材、創価大の193センチ右腕の正体 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 山崎がスライダーを多投した背景には、脳裏に刻まれた苦い記憶があった。前回の登板だった4月21日の対杏林大3回戦。ピンチでリリーフした山崎はストレートを痛打され、逆転3ランを浴びている。この敗戦によって創価大は勝ち点を落とし、山崎は責任を背負い込んだ。

「先発した齋藤(優羽/4年)もいいピッチングをしていたのに、あいつの勝ちを消してしまって申し訳なかったです」

 痛い経験をとおして、山崎は投手としての階段を一歩ずつ上がっている。

【大学1年夏までは捕手】

 それにしても、これだけの逸材にもかかわらず、大学での実績が皆無に近かったのはなぜか。一番大きな要因は、山崎の投手歴の浅さにある。なにしろ、大学1年夏までは捕手としてプレーしていたのだ。

 小学生時には投手経験があったものの、中学以降は捕手がメイン。帝京五(愛媛)に在籍した高校3年時に、練習試合で1回だけ登板機会があったという。

「8回までキャッチャーで出て、9回にピッチャーをやったんです。でも、打たれて、『これでは通用しないな』と心が折れました」

 高校では、強肩強打の捕手として注目されていた。だが、同じく愛媛の新田から、強打の捕手である古和田大耀も創価大に進学していた。現在は立石と強力なクリーンアップを形成する古和田に対して、山崎は早々に「かなわないな」と悟ったという。

「捕手として創価大に入ったんですけど、夏あたりに佐藤監督から『ピッチャーをやってみないか?』と言われて。大学で木のバットに変わって全然打てなくて、『無理だな』と思っていたので、『やります』と即決でした」

 投手に転向した直後の球速は、最速142キロ。スタートは出遅れたものの、先輩に恵まれたのは幸運だった。1学年上には森畑侑大(現・JR東日本)や田代涼太(現・徳島インディゴソックス)と有望投手がおり、山崎に親身にアドバイスを送ってくれた。

「森畑さんに『ちょっとだけショートアームにしてみたら?』と言われて、試したらいい感じにボールがいくようになりました。僕は腕が長いので、それまではトップで腕が間に合わないことが多かったんです。ショートアームにしたことで、タイミングが合うようになりました」

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