創部わずか3年でセンバツ甲子園 エナジックスポーツが実践する「ノーサイン野球」の正体とは? (2ページ目)
「『いい選手が来てくれたら勝てる』と思っている監督はけっこういると思う。じゃあ、自分のチームにいい選手が来なければ、勝てないのか。それを勝てない理由にしていますよね。それなりのメンバーでも、それ以上の成果を出していかないと自分の付加価値は上がっていかないし、周りも認めてくれません」
今は「打倒・沖縄尚学&興南」、それ以前は「打倒・沖縄水産」を掲げ、知恵を巡らせてきた。どうすれば県内トップを上回ることができるか。
「今でも沖縄尚学、興南がメンバー的に上だと思うけど、それをひっくり返せるのが野球です。公立でずっと戦ってきて、どうすればいいかと研究して今の野球にたどり着きました。甲子園でベスト4に行った時も、機動力野球が徹底していたんです」
【浦添商時代はサイン無視OK】
2007年のセンバツでバントをほとんど使わずに初優勝した常葉菊川を参考に翌年夏、浦添商で自身初の甲子園に出場して準決勝まで勝ち上がった。「奇想天外の攻撃」とも言われたが、その裏にあったのが「サイン無視はOK」という方針だった。
「サインは出すけど、『根拠のあるサイン無視はOK』。バントのサインでも、100%盗塁できると思ったら行っていい。エンドランの場合でも、キャッチャーの動きなどを見て行かなくてもいい。そういう作戦ってけっこうハマるんですね。スクイズのサインを出したら、打ったとか。『なぜか』と確認すると、『こうだったから、こうしました』という根拠が必ずありました」
そこから発展していったのが、現在のノーサイン野球だ。
「美里工だって。神谷も終わったな......」
2012年、浦添商から美里工への赴任が決まると、周囲から憐れむ声がこぼれた。当時の自宅から徒歩5分に美里工はあるが、学校に入ったこともない。いわゆるヤンチャな学校で、転勤することになるとは夢にも思っていなかったからだ。
「定年まであと5年しかない。そこで終わってしまったら、今までやってきたことがすべて消える。『神谷も終わったな』ってなるじゃないですか。その後も終わってしまうので、そのまま引き下がれないなと思って」
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