創部わずか3年でセンバツ甲子園 エナジックスポーツが実践する「ノーサイン野球」の正体とは? (3ページ目)
授業もまともに成り立たないほど荒れていた美里工で、野球部をどう強くしていくか。
「3年で甲子園に行くから、協力してくれ」
神谷監督はOB会などにホラを吹いて回った。
同時に、熊本工や福岡工、佐世保実など九州の有名校を回って工業高校ならではの文武両道を探し求めた際、足を伸ばしたのが山口県の高川学園だった。東亜大時代の1993年明治神宮大会で初出場初優勝を飾った中野泰造監督に「ノーサイン野球」を学ぶためだった。
「東亜大が明治神宮大会で連覇した頃(2003・2004年)、神宮で試合を見たことがあるんです。小さい子たちが早稲田大や東北福祉大とか、全員180センチ以上あるようなチームに勝つわけです。すごい。我々の目指す野球はこれだと、ずっと頭にありました」
【失敗を容認できるかどうか】
ノーサイン野球とは何か。最初は雑誌の記事を見ながらマネしたが、真髄を理解していたわけではない。美里工に赴任した2012年冬、初めて中野監督を訪れ、教え子の宮本龍監督が受け継いだ東亜大にも学びに行き、選手を送るような関係になった。
そして2014年春、美里工を率いて同校初のセンバツ出場。定年後の再任期間まで勤め上げた後、「監督人生の集大成」と位置づけるエナジックスポーツで貫くのがノーサイン野球だ。
「ずっと失敗だらけです。ノーサイン野球って、失敗を容認できるかどうか。失敗をいっぱい経験して、何がいいかを自分で選んでいくわけですから。常に状況を考えながら、先のことも考えて、相手の動きも見ながらスキをつく野球なので。やればやるほど成長していくわけですよ。だから、最後の夏に仕上がればいい。(2024年)秋に九州で準優勝できたのもできすぎなんですよ。彼らは春、夏と成長していくので。この子たちが夏になった時に、どれぐらいまで仕上がってくるのか。毎年こういうのが楽しみになってくるんですよね」
ノーサイン野球は、選手各自が好き勝手にプレーするわけではない。どういう判断をすれば、相手の意表を突いていけるのか。チームで基準を統一し、一致団結して強敵をなぎ倒していくのだ。
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