夏の甲子園 低反発バットで野球が変わった ブレークスルーを果たした指揮官たちの挑戦 (3ページ目)
夏の甲子園で60年ぶり勝利を飾った掛川西・大石卓哉監督 photo by Ohtomo Yoshiyukiこの記事に関連する写真を見る 3回戦の青森山田戦は、初回に2点本塁打を浴びたが、2回の一死二、三塁のピンチでは前進守備を敷かずに引いて守った。内野ゴロで1点を献上することになるが、この回はその失点だけにとどめ、5回まで3点差の締まったゲームを展開した。
最後は力尽きたが、福田監督はこう手応えを口にする。
「2点ビハインドのピンチでの守備位置は迷ったんですけど、我慢の最少失点ということを言ってきた。そこで前進守備をせずにいこうと。おそらく、前進守備だったら内野を抜かれていたと思う。だから、うしろを守って正解だった。次の打者も打ちとっているので、選手たちは賢く考えて野球をしてくれたと思います」
また26年ぶりに夏の甲子園に出場した掛川西(静岡)も石橋と同じような戦いで、1回戦の日本航空(山梨)戦で60年ぶりの勝利を飾った。どう守り抜いていくのかがチームとして整理されていて、攻撃面では積極的な走塁が光った。
試合後、大石卓哉監督の言葉が印象に残った。
「自信を持ってプレーすることに関しては、力を出し切れたんじゃないかと思います。戦い方に関しては、状況と場面に応じながら、最少失点に切り抜けていく。終盤に勝負をかける時には大事かなと思います。たとえば、一死一、三塁の場面を1失点で切り抜けていく。点を与えても、自分たちのペースだと思えるような守備というんですかね。状況を読みながら、流れを読みながら、展開していくことはできたかなと思います」
2回戦で智辯和歌山を破り、甲子園初勝利を挙げた霞ヶ浦(茨城)も延長タイブレークにもつれた試合で、2点リードの11回裏、智辯和歌山の攻撃を1点にとどめるディフェンスに徹底して勝利を挙げた。霞ヶ浦の高橋祐二監督も、ブレークスルーを果たした指揮官のひとりだった。
「いつもは大事な場面で崩れてしまうことが多く、勝てなかった。今年のチームは積極的な選手が多く、それが違ったのかなと思います。ただ3回戦(滋賀学園戦)は力を発揮できなかったので、もう一度地元に帰って、なぜ勝てなかったのかを整理して、次につなげていきたい」
ただ豪速球を投げ、豪快に振り抜いて得点を上げていく。高校生でもプロ顔負けのようなプレーを見せるのが、昨今の高校野球だった。だがこの夏、ブレークスルーを果たした指揮官たちの野球を見ると、とにかく1点に強いこだわりをみせた。そういう意味で、今大会は野球における大切なものを再考させてくれたのではないかと思う。
著者プロフィール
氏原英明 (うじはら・ひであき)
1977年生まれ。大学を卒業後に地方新聞社勤務を経て2003年に独立。高校野球からプロ野球メジャーリーグまでを取材。取材した選手の成長を追い、日本の育成について考察。著書に『甲子園という病』(新潮新書)『アスリートたちの限界突破』(青志社)がある。音声アプリVoicyのパーソナリティ(https://voicy.jp/channel/2266/657968)をつとめ、パ・リーグ応援マガジン『PLジャーナル限界突パ』(https://www7.targma.jp/genkaitoppa/)を発行している
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