1年夏の甲子園で西川遥輝は骨折しながら強行出場 放った大ファウルに末恐ろしい才能を感じた (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

 この夏のあと、あらためて高嶋監督にこの話題を向けた時には、少々のリップサービスも含んだ調子でこう言った。

「これまでも指が折れて試合に出た選手はおりました。それにあの子(西川)は、骨はよう折ったけど、ああ見えて、ええ根性持っとるんですよ」

 繰り返すが、当時の話である。甘いマスクの裏に秘められた西川のハートの強さを感じさせるエピソードだ。

 本人にも取材を重ねるなかで、何度かこの話題について詳しく聞くことがあった。

「ケガをした時は、正直、これで夏は無理って思いましたけど、甲子園で打席に立つと痛みはなかった。甲子園って、痛みを忘れさせるんですよ」

 またある時には、こんなことも言っていた。

「骨折とわかった時は、お医者さんから『ここがちゃんとひっつかないと、骨盤から移植してこなあかんで』って、ちょっと脅かしっぽく言われて......それを高嶋先生も一緒に聞いていたはずなんです。でも『骨一本やったらOKや、いけるな』って(笑)。最初は自分でも『大丈夫か?』って思いましたけど、実際プレーできましたしね。元から故障に強いところはちょっと持っていたかもしれないです」

 甲子園の打席では、右の手のひらにパットを当て、その上からテーピング。バットを握ると右手の小指側がグリップエンドに当たり痛みを感じたため、出っ張り部分に段差の少ない形状のバットをメーカーに協力してもらい用意した。

 それでもまだ痛みがあり、最後は右手の小指と薬指をグリップエンドから外し、人差し指と中指の2本でバットを握った。

【今も脳裏に焼きついている大ファウル】

 その状態で、1年夏の甲子園は13打数6安打。なかでも、西川の魅力が存分に詰まっていたのが準々決勝の常葉菊川(静岡)戦だ。試合は壮絶な打撃戦の末に敗れたが、この一戦で西川は光り輝いた。

 まず2回の第1打席。私を虜にしたと言ってもいい一発が始まりだった。一発と言っても、じつはファウル。しかしこのファウルが、今も鮮明に記憶している見事な打球だった。

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