和歌山南陵バスケ部が起こした奇跡 部員6人でインターハイ出場、「走らないバスケ」で日本一を目指す (3ページ目)
かつては朝食が菓子パン1個という時もあったという photo by KIkuchi Takahiroこの記事に関連する写真を見る 高校1年目は学校をやめる瀬戸際までいったが、なんとか踏みとどまった。そんな紺野が今年6月の近畿大会準々決勝・洛南戦では3連続3ポイントシュートを決めるなど大活躍、京都の名門校に61対58で勝利した。和中監督も「近畿大会はあの子のおかげで勝てたようなもの」と称える。
そして、取材を進めるなかでどうしても気になることがあった。それは和中監督自身「和歌山南陵をやめたい」と思うことはなかったのか、ということだ。
率直に聞いてみると、和中監督は表情を変えることなく淡々と答えた。
「子どもたちがいる以上、ここでやると決めていました。子どもたちには『給料がもらえなくても、最後まで見るから』と約束していました。それは別に無理をしているからではなくて、自分のやりたいことだったから。高校生にバスケを教えて、全国で勝つチームをつくる。それが人生の目標であり、夢でしたから。みなさんから『大変ですね』と言われるんですけど、私自身は苦と感じていないんです」
和中監督は洛南出身で、天理大を経て和歌山南陵に体育教師として採用された。まだ29歳と若く、自身も和歌山南陵の寮で暮らしている。
「感覚がマヒしてるんですかね。いつの間にか建物の古さも汚さも気にならなくなっているので。むしろ夜に駐車場で空を見上げた時に、『星がきれいやなぁ』と感じてしまうくらいで」
退職していった同僚を否定するつもりは毛頭なく、自分の価値観を他者に押しつけたいわけでもない。和中監督が和歌山南陵に残った理由は、「自分がやりたいから」。ただそれだけだった。
【763万4000円の支援金】
今年6月には新たな動きがあった。バスケ部員の酒井珀の母・恵がバスケ部の活動費を捻出するためにクラウドファンディングで支援金を広く求めたのだ。当初、母から「目標金額50万円」の構想を聞かされた酒井は「そんなに集まらないでしょ?」と懐疑的だったという。
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