大阪桐蔭「藤浪世代」に危機感を抱かせた「西谷監督交代の噂」 白水健太を中心に「春夏全部勝つしかない」と燃えた (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

 新チームが立ち上がりと、当時まだいた通いの選手も寮に入って"寮合宿"を実施。夜には毎日選手間ミーティングを行ない、ここで白水が中心となり、掲げられた目標が「春夏連覇」だった。

「西谷先生は、常に強いチームより負けにくいチームをつくろうと言われていたので、『負けにくいチームってなんぞや?』というところから始まったと思います」

 実力的には、自分たちの代のチームより上だったと、各選手が口を揃える前チームを参考に意見を出しあった。

「周りからいくら強いと言われても、一発勝負のトーナメントでは1回負けたら終わり。あのチーム(前チームは大阪大会決勝で東大阪大柏原にサヨナラ負け)でも勝てなかったことで、負ける要因を全部潰していこう、と。もちろん練習はしっかりしましたが、それ以上に寮生活をきっちりする、時間を守る、掃除をしっかりやる......そういうところを一生懸命やった記憶が強いですね。とにかく甲子園へ確実に出るためにスキをなくす。そういう考えがチームに浸透していたので、夏の甲子園メンバー決定の時、それまでちょくちょくスキを見せていた(センバツで4番を打った)小池裕也を外すことには、僕も、水本も、澤田も、いっさい迷いはなかったです」

【西谷監督交代の噂】

 そして白水はもう一点、野球以外の要素を挙げた。

「これはもう、ハングリー精神ですね。とにかく勝つことへの貪欲さ、執念、そこをものすごく持った学年でした。当時のメンバーと話をしていて、たとえば最近の桐蔭の選手を見ていたら、藤浪晋太郎(現・メッツ)や森友哉(現・オリックス)以外はレギュラーになれへんし、ベンチに入れるのも澤ちゃん(澤田圭佑)くらいやろうって。能力だけで言うとそれくらい差があるけど、根性とか、負けん気やったらオレのほうが上やろうって。そこはみんな言うてます」

 その強さは、どこから生まれたのだろうか。

「もともとの能力に加えて、大阪桐蔭に入れば行けるだろうと思っていた甲子園に行けないまま高校野球が終わるかもしれないという焦り。ここが大きかったと思います。入学直後の春に先輩たちが出場していたセンバツをスタンドから見ただけで、そこから夏、秋、夏と負けた。とくに1学年上の代は本当に強いと思っていたのに勝てなかった。甲子園のチャンスは残り2回。なんとしても甲子園に行きたいと、本気の本気になったんだと思います」

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