甲子園出場ゼロの無名の進学校、入学当初は球速110キロ...今永昇太はいかにしてメジャーリーガーへと上り詰めたのか (2ページ目)

  • 内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu

今永昇太の在籍時、野球部副部長だった白石始さん photo by Uchida Katsuharu今永昇太の在籍時、野球部副部長だった白石始さん photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る 白石さんは、2003年まで同校野球部の監督を務め、八幡高に転任したあと、2008年より北筑に戻り、2011年から副部長として野球部のグラウンドに帰ってきた。監督時代に、今永と同じ左腕で法政大学に進んだ選手がいたが、「その比じゃなかった」と言う。
 
「ヒジの使い方がうまいんですよ。ああいう柔らかさは教えてできるものじゃありません。柔らかすぎて故障するんじゃないかと思うぐらいで、あれは天性のものです。2年の夏に1回戦で負けて、先輩たちに申し訳ないという気持ちもあって、考え方が変わったと思います。一生懸命練習していましたね」

 4、5月に行なわれた北九州市長杯で3試合連続完封の離れ業を演じ、4試合39回を投げ、わずか1失点。マウンドで圧倒的な存在感を放つ今永は、白石さんが見てきた選手のなかで間違いなく一番の素材だった。

「キャッチャーが捕れないんです。それで負けた試合もありました。打たれたらカッとなるタイプで、ちぎっては投げ、ちぎっては投げになるので、バッターからしたらタイミングが取りやすいじゃないですか。だから、間の取り方を言ったぐらいで、ほとんど何も指導していないです」
 
 ただ、甲子園には遠かった。初戦コールド負けに終わった2年夏の雪辱を期して臨んだ3年夏。17年ぶりに県大会へ進出し、4回戦の小倉戦で144キロを叩き出すも、1対2で逆転負けし、高校野球生活に幕を下ろした。

「野球は本当に真面目でしたね。ただ学校のなかでは、ひと言で言うと、調子に乗って遊んでいるタイプでした。今みたいに『投げる哲学者』というイメージはないです(笑)」(白石さん)

【高校2年から理系クラスを選択】

 今永が2年時の担任だった男性教諭が、学校での様子を明かしてくれた。

「教師に対しては真面目で礼儀正しい、そういう接し方をする生徒だったという印象です。ただ、彼の同級生から聞いたのですが、クラスではムードメーカー、そしてギャグメーカーで、とにかくギャグを連発して、もうみんな大笑いだったようです。随分態度が違うなと思っていましたね(笑)」

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