甲子園4強から東大野球部への道のり「毎日1時間半の勉強はどんなに疲れていてもやる」松本慎之介が絶対に譲らなかった文武両道 (4ページ目)

  • 門脇 正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • 田中 亘●撮影 photo by Tanaka Wataru

【絶対に譲らない毎日1時間半の勉強】

ーー國學院久我山高に入ってからの勉強と野球について、さらに掘り下げていければと思います。松本さん流の両立方法があれば教えてもらえたらと!

 高校の野球部は中学とは違って毎日練習がありましたが、練習が終わったあとの短い時間で勉強するのが、本当に大変でしたね。

ーー具体的に、高校時代はどんな一日を過ごしていたんですか?

 えっと、学校に行って部活をして、帰ってくるのが午後8時過ぎくらいにどうしてもなっちゃいました。そこからお風呂に入って、食事をして夜9時頃。そして、9時から10時半までは絶対に勉強の時間というのは、自分のなかで決めていました。

 たった1時間半なんですけど、その日の授業でやったこととかを復習するようにしてから、寝るようにしました。とにかく、その1時間半はどんなに疲れていてもやるって、絶対に譲らないようにしてましたね。

ーーということは、高校の成績は中学の時よりもいい感じでしたか?

 勉強は、中学の一時期よりは悪くなかったですけど、真ん中ぐらいをずっとキープしてた感じでした。時間がなかったんで、あんまり勉強できなかったのもあったけど、なんとかついていっていました。

ーー勉強と比べて、高校での野球のほうはどんな感じだったんですか?

 勉強と野球とを比べると、成長速度でいうと野球のほうが早かったですね。

ーー成長を一番実感できたのは、いつになりますか?

 高校1年の冬になりますね。ピッチャーなので、とにかく自分で考えて、どうにかしていかないとと思って、筋トレをたくさんして、体重を10キロぐらい増やしたんです。そうしたら、ちょっと球が速くなって、コントロールもよくなって、試合に出られるようになっていったんですよ。それでも、あんまりスピードが上がらないっていうのがあって......。

ーーそうなると、コントロールの次は、スピードでの成長があるんですね?

 高2の秋の大会は、コントロールで頑張っていた感じで、スピードは出てなかったけど、なんとか抑えられてはいたんですけど。あんまり楽しくなかったというか、苦しかったかなと。そして、秋の大会のあとの明治神宮大会があって、初戦で花巻東高校と戦ったんです。

ーーあの大谷翔平選手の母校の花巻東ですね!

 その時に、フォアボールを出したり、打ち込まれたりして、このままじゃ通用しないなとすごく感じたんです。そこから、今度は投げ方を変えていこうと、高2の冬に左軸足の押し込みとか、うまく使えてなかった胸の柔軟性を上げたり、チューブを使って連動性を高めたり、いろいろやってみたんです。そうしたら、すぐに球速が上がって、どんどん楽しくなってきて、その時も自分が成長したなと感じました。

後編<センバツで好投、E判定の東大に宅浪で合格...野球と勉強をともにレベルアップしていく松本慎之介のスタイル>を読む

【プロフィール】
松本慎之介 まつもと・しんのすけ 
2005年、東京・武蔵野市生まれ。小学3年の時に桜堤ユニバースで野球を始め、國學院久我山中時代は田無シニアでプレー。國學院久我山高では3年春に甲子園で登板し、ベスト4に貢献。1浪を経て東京大理科二類に合格し、2024年に入学。同年5月には東京六大学野球のリーグ戦デビューを果たし、1回を無安打無失点に抑えた。左投げ左打ち。

プロフィール

  • 門脇正法

    門脇正法 (かどわき・まさのり)

    マンガ原作者、スポーツライター。1967年、埼玉県生まれ。日本女子体育大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。アニメ『ドラゴンボールZ』の脚本家である小山高生氏からシナリオを学び、マンガ原作者デビュー。特にスポーツアスリートの実録マンガを得意としており、『世界再戦ー松坂大輔物語ー』(集英社/少年ジャンプ)、『好敵手ー室伏広治物語ー』(同)、『闘球「元」日本代表ー福岡堅樹物語ー』(集英社/ヤングジャンプ)の原作を担当。現在はマンガの原作だけでなく、「少年ジャンプ」のスポーツ記事特集『ジャンスタ』を中心に、『webスポルティーバ』の「文武両道の裏側」など、スポーツライターとしても活躍中。著書に『バクマン。勝利学』『少年ジャンプ勝利学』(ともに集英社インターナショナル)などがある。

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