前任校では「結果を出せていない」と解任、新任高では部員5人からのスタート...別海高校のコンビニ副店長監督が果たした甲子園出場 (3ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki

【部員5人からのスタート】

 別海の監督就任を打診された15年、野球部は危機的状況にあった。

 選手は秋の時点で2年生2人と1年生2人の計4人。単独で公式戦に出場できず、5校による連合チームで戦った。新チームでキャプテンとなった白鳥雄治は、別海野球部の存続の危うさを感じとっていた。

「『来年、どうなるんだ?』って。だから、部員の勧誘を必死でやりましたよ。『未経験でもいいから』って知っている中学生に手あたり次第、声をかけましたね」

 まだ1年生が入部する前とはいえ、マネージャーを含め、部員はたった5人。春先から別海で指導することとなった島影は愕然とした。

 野球部の専用グラウンドの土は荒れ、室内練習場として使用しているビニールハウスも穴が開き、雑草が生えている。島影が胸の内で嘆いていたのは、選手の意識の低さではなく、野球部としての効率の悪さだった。

「あの時の部員は頑張っていましたよ。だって、野球が好きじゃなかったら辞めてるわけじゃないですか。でも、グラウンド整備の道具も足りないとか、周りのサポートがほとんどなかったんです。だから、『野球ができる環境を整えよう』ということで、父母会とかにお願いして道具を揃えて。そういうところからのスタートでした」

 先行きの見えないチームにおいて、新監督は現実と逆行するような所信表明を打ち出す。

「3年で全道大会出場」と「5年で全道初勝利」。そして、「10年で甲子園」である。

 島影は意識的に退路を断ったのだ。

「覚悟です。外部監督として雇われている身として、『10年以内で甲子園に行けなかったら、責任をとって辞めます』と」

 それは、「結果が出ていない」とクビを言い渡された、前任校へのリベンジでもあった。

 4月になると、白鳥たちの勧誘の成果もあって6人の1年生が野球部に入部した。だからといって、すぐに島影が武修館時代に構築させた野球がチームに浸透したわけではなく、1年目の夏は釧根支部予選で初戦敗退だった。

「白鳥たちには申し訳なかったんですけど、基本を叩き込んで夏までに仕上げるには、まだまだ時間が足りませんでした」

 島影は悔やむが、選手の思いは違う。

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