「高校で活躍してプロ野球選手に」の夢は入学すぐに断念 大阪桐蔭「藤浪世代」の控え捕手は「とんでもないところに来てしまった」 (3ページ目)
大阪桐蔭に行くために──これが中学の3年間を過ごすモチベーションになった。豊中シニアの2年春には全国大会に出場。3年になると、西谷がグラウンドにやってきた。この時まで進路について父としっかり話すことも、大阪桐蔭に行きたいと口にすることもなかった。それが西谷訪問後のある夜、初めて父子ふたりでこれからの話をした。
「大阪で甲子園に狙えるところに行きたい」
子どもの希望に、父からは「たとえば......」という感じで、履正社の名が出た。ここで初めて森島が秘めていた思いを口にした。
「大阪桐蔭に行きたい。大阪桐蔭で勝負したい」
そして2010年春、5年越しの思いを実らせ大阪桐蔭へと進んだ。ところが、待っていたのは厳しい現実だった。「高校で活躍してプロ野球選手に」という夢は、入学と同時に吹き飛んだ。
「最初に見た練習が衝撃でした。一番はキャッチャーの江村(直也/2010年ドラフト5位でロッテに入団)さんの肩。とにかくえげつなくて。ほかの先輩たちのキャッチボールのボールも強いし、ノックの時の動き、スイングの速さ、打球の強さ......。『とんでもないところに来てしまった』と、いきなり鼻っ柱をへし折られました」
大阪桐蔭は夢を見させることのできる場所であり、夢をあきらめさせる場所でもあった。森島も入学当初の目標を修正せざるを得なくなった。
「自分たちの代でレギュラーになる」
同級生にライバルは多かったが、力をつけていけば勝負できると感じていた。
ところが入学してから1年、二度目の春にまたしても衝撃を受ける。新入生として森が入部してきたのだ。ポジションはキャッチャー。説明不要のバッティングに度肝を抜かれた。どう見ても勝ち目はない。森島はこのままキャッチャーを続けるべきか、自問自答した。
「ただ、キャッチャーを辞めることは一切考えなかったんです。でも、キャッチャーとして何を目指すのか。(ベンチ入りの)残り二枠にどう入っていくか」
そう考えていると、西谷がよく野球ノートに書いてきた言葉が浮かんできた。
「ブルペンを大切にしなさい」
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