「髪切って出直してこい」のヤジから「切らずに出直してやる」の誓い 慶應高校野球部OBが語る髪型、監督、エンジョイベースボールのこと (4ページ目)

  • 吉崎エイジーニョ●取材・文 text by Yoshizaki Eijinho
  • photo by Kyodo News

【変わっていったエンジョイベースボール】

 チーム練習を目にする機会もあった。友成の目には「自分たちの時代と変わったな」と感じられる点があった。

「ノックのあとに、監督なしで選手たちが集まるんです。そこで、今日のノック練習がどうだったのか、問題点、良かった点は何なのかを話し合う。最後のほうは感情を交えて話すような様子も見られました」

 自分たちで工夫して考えるから、野球は楽しい。これこそエンジョイベースボールだ。

 それは、監督たる森林にとっては、高校時代から続く風景だったという。友成は食事の席で森林がこんな話をしていたことをよく覚えている。

「高校の時、守備時の『ランナー2塁』の状況でベースカバーの判断は選手に任されていたんですよね。ショートが入るのか、セカンドが入るのか。自分たちでサインを決めろと当時の監督に言われていたんですよね」(森林)

 友成は思う。こういった姿もまた、遠いアフリカの地にも伝えていきたいと。現在推進している「アフリカ55甲子園プロジェクト」は、アフリカ55カ国・地域に野球を普及しようという活動だ。松井秀喜さんをエグゼクティブ・ドリームパートナーとして招き、折を見て子どもたちへのメッセージももらっている。

 日本とアフリカを往復しながら活動を続ける日々。滞在中のタンザニアから映像で見守った優勝について、こんな思いも頭をよぎった。

「私の高校時代のことを思い出したりもしました。ウチの高校、投手は130kmも出ていなかったし、ホームランを打つ選手もいなかったんですよ。完全に『神奈川や東京の子たちが受験で入る学校の野球部』でしたから。それが1996年の甲子園予選県大会決勝進出を機に注目が集まるようになった。学校側にも掛け合って、推薦で選手が入ってくるようになった。そのころから再び甲子園にも出るようになって......。いまや140キロを投げるピッチャーが3人もいたりしますよね。本当に強くなってくれたなと思います」

 もうひとつ、優勝を誇らしく思うのはこの点だ。

「61年かけて、髪を切らずに出直しました。それが叶った優勝でもありますよね」

 伝統を守ることが、新しいことを生み出す。そういった優勝でもあった。

この記事に関連する写真を見る友成晋也 
ともなり・しんや/1964年7月16日生まれ。東京都出身。慶應義塾高校、慶應義塾大学と野球部に所属。卒業後民間企業を経てJICA(独立行政法人国際協力機構)で働き、1996年にガーナへ赴任した際に、仕事の傍らガーナナショナル野球チームの監督を務めたのをきっかけに、アフリカ各国で野球の普及に携わる。2019年に一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構を設立し、日本式野球の導入によりアフリカで人材育成と競技普及の支援を行なう「アフリカ55甲子園プロジェクト」の展開に尽力している。

プロフィール

  • 吉崎エイジーニョ

    吉崎エイジーニョ (よしざき・えいじーにょ)

    ライター。大阪外国語大学(現阪大外国語学部)朝鮮語科卒。サッカー専門誌で13年間韓国サッカーニュースコラムを連載。その他、韓国語にて韓国媒体での連載歴も。2005年には雑誌連載の体当たり取材によりドイツ10部リーグに1シーズン在籍。13試合出場1ゴールを記録した。著書に当時の経験を「儒教・仏教文化圏とキリスト教文化圏のサッカー観の違い」という切り口で記した「メッシと滅私」(集英社新書)など。北九州市出身。本名は吉崎英治。

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