「髪切って出直してこい」のヤジから「切らずに出直してやる」の誓い 慶應高校野球部OBが語る髪型、監督、エンジョイベースボールのこと (2ページ目)

  • 吉崎エイジーニョ●取材・文 text by Yoshizaki Eijinho
  • photo by Kyodo News

【森林貴彦監督との交流】

 友成はその後、慶應大に進学し、迷った挙げ句に野球部に入部した。なにせ慶應高は弱かった時代。実力的に足りないことは自覚しつつも体育会の門を叩いたのだった。結局4年間で一度も1軍での試合出場が叶わず卒業。社会人2年目に母校の試合を観に行った際、ショートを守っていた選手に目が行った。

 森林貴彦(現慶應高監督)だった。

「その年は県大会4回戦まで進み、喜んで試合を観に行きました。私も高校時代にはショートを守っていたものですから、自然と彼に目が行ったのだと思います。ショートらしいキビキビとした動きや、真面目そうな雰囲気を見て、とても安心感を覚えた記憶があります」

 友成と森林の縁が生まれたのはのちのことだ。

 友成はJICA勤務時代にアフリカに駐在。現地で野球の普及活動を続けるなかで、1996年に野球のガーナ代表チームを立ち上げ、初代監督に就任、オリンピック出場を目指す活動を始めた。1990年代末にこの模様がフジテレビ『アンビリーバボー』で取り上げられた。合わせて2003年に『アフリカと白球』(角川書店)という書籍にもまとめられている。

 この頃、森林のほうが友成を認識するようになる。

 ただ、友成は転勤や海外勤務の多い日々のなか、森林と初めて顔を合わせて直接言葉を交わしたのはいつだったか、はっきりとした記憶はない。それでもいつしか始まった森林との交流のなかで、のちに全国制覇を果たす監督にこういった印象を受けていた。

「真面目で真摯に野球に向き合っている印象です。彼は慶應普通部(中学校)から内部進学を続けた立場ながら、内部生にありがちな『お金持ちの子』を感じさせる気取った雰囲気がなかった。私自身は高校から慶応に入った『外部生』で、普通のサラリーマン家庭の子でしたから、親近感を覚えた記憶があります。ですからすぐ仲良く打ち解けられました」

 やがて2020年年代に入り、友成は森林からある依頼を受けることとなる。

「アフリカの野球について選手たちに話してくださいよ」

 新型コロナのパンデミックの折、講演の依頼を受けたのだ。森林は「野球ができないのなら、その分の時間で外の世界の人の話を選手たちに聞かせて視野を広げさせたい」と話していたという。

 話の内容は、自身が代表理事を務める一般財団法人の話だ。アフリカでの野球を伝道する活動を続けている。友成は慶應大卒業後にJICAに勤務。その際に現地で野球を教えてみると、現地の人たちに喜ばれた。

アフリカで野球を伝える友成氏(写真:J-ABS提供)アフリカで野球を伝える友成氏(写真:J-ABS提供)この記事に関連する写真を見る ガーナのとある少年から聞いた「野球は民主的。なぜなら打席という自分だけが応援され、ヒーローになれる機会がみんなに平等に与えられるから」という言葉にむしろ友成自身も学ぶことがあった。そういった打って、投げて、守る楽しさと合わせ、「相手を敬う」「道具を大切にする」といった人間教育のひとつとして薦めていることも、現地で喜ばれている点だ。

 最近はアフリカの地で「エンジョイベースボール」も伝えている。自分で考えてやってみよう。だからこそ楽しいんだよ、と。

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