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「立浪和義、片岡篤史は徳を積むために草むしりをしていた」PL学園元監督の中村順司が甲子園春夏連覇の偉業を振り返る (4ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika

●KKコンビの代vs春夏連覇の代、どちらが強い?

 8回の相手の攻撃を最少失点に抑えたPL学園は、9回に逆に3連打でダメ押し、5−2で常総学院を下した。

 PLが甲子園で戦った6試合の総得点が39、失点は12で、終わってみれば圧倒的な強さを見せつけての頂点だった。この大会では「全試合初回得点」という記録もつくっており、尾崎晃久、蔵本新太郎の1、2番を、準々決勝から尾崎、伊藤敬司に打線を組み替えたことが大きかったという。

「蔵本が調子悪くてね。だから思いきって9番に下げ、8番の伊藤を上げた。その伊藤が長打を打つなど当たって、そこに立浪、片岡が確実に絡んで初回得点につながりました。監督としてもこの記録はすごいと思いますね。

 ただ残念なのは、3人の投手を女房役としてもリードした伊藤が、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病で2015年、46歳で亡くなってしまった。つらく、とても残念な出来事でした」

 PL学園の全盛時代を築いた名将として、高校球界に名を残した中村。山ほどの取材を受けたであろうが、「KKの代と春夏連覇の代、どちらが強いと思うか」という質問にはいつも困らされたと苦笑する。

「どちらとは言えませんよ。どうしてもって言うなら、先輩をたててKKってことにしておきましょう」

(文中敬称略)

後編<「清原和博も1年からすぐ練習に参加できると知ってPLに来てくれた」甲子園の勝率.853、教え子39人がプロ入りの中村順司が語る指導論>を読む

前編<「清原和博、桑田真澄の1年生の起用は上級生の反発もすごかった」PL学園元監督の中村順司が明かすKKコンビ秘話>を読む


【プロフィール】
中村順司 なかむら・じゅんじ 
1946年、福岡県生まれ。自身、PL学園高(大阪)で2年の時に春のセンバツ甲子園に控え野手として出場。卒業後、名古屋商科大、社会人・キャタピラー三菱でプレー。1976年にPL学園のコーチとなり、1980年秋に監督就任。1981年春のセンバツで優勝を飾ると、1982年春優勝、1983年夏優勝。1984年春の決勝で敗れるまで甲子園20連勝を記録。1998年のセンバツを最後に勇退。18年間で春夏16回の甲子園出場を果たし、優勝は春夏各3回、準優勝は春夏各1回。1999年から母校の名古屋商科大の監督、2015〜2018年には同大の総監督を務めた。

著者プロフィール

  • 藤井利香

    藤井利香 (ふじい・りか)

    フリーライター。東京都出身。ラグビー専門誌の編集部を経て、独立。高校野球、プロ野球、バレーボールなどスポーツ関連の取材をする一方で、芸能人から一般人までさまざまな分野で生きる人々を多数取材。著書に指導者にスポットを当てた『監督と甲子園』シリーズ、『幻のバイブル』『小山台野球班の記録』(いずれも日刊スポーツ出版社)など。帝京高野球部名誉監督の前田三夫氏の著書『鬼軍曹の歩いた道』(ごま書房新書)では、編集・構成を担当している。

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