元ヤクルトの父を持つ度会隆輝はドラフト指名漏れから3年 「走攻守ではるかに成長してやる」の有言実行で猛アピール

  • 菊地高弘●文・写真 text & photo by Kikuchi Takahiro

 最後は無残にもバットを折られ、ファーストゴロだった。

 打球を処理した一塁手と入れ違うように一塁ベースを駆け抜けた度会隆輝(わたらい・りゅうき)は、視線を落としてゆっくりとホームベースの整列に並んだ。

 まぎれもなく「大会の顔」として臨んだ都市対抗野球大会。ENEOSは2回戦でトヨタ自動車に3−1で敗れ、度会は2試合で9打数1安打と不本意な成績で終えた。

「自分の力不足です。最後に打っていればゲームは続いていたので、ふがいないというか、悔しい気持ちです。期待に応えられなかったのは悔しいですし、本当にこのチームメイトともっと長く都市対抗をやりたかったです」

 そこまで言うと度会は言葉を詰まらせ、頬には涙が伝った。

昨年の都市対抗でMVPにあたる橋戸賞を獲得したENEOSの度会隆輝昨年の都市対抗でMVPにあたる橋戸賞を獲得したENEOSの度会隆輝この記事に関連する写真を見る

【3年前のドラフトで指名漏れ】

 横浜高から名門・ENEOSに進んで2年目だった昨季、度会は社会人球界の新星になった。都市対抗では5試合で4本塁打、11打点の大暴れで橋戸賞(MVP)を受賞。決勝戦後に受けたヒーローインタビューは、絶大なインパクトがあった。

「もう絶対やってやるって決めてましたぁ〜!」

 インタビュアーから何を聞かれても、常に絶叫で返す。19歳のエネルギーがほとばしっていた。

 高卒3年目の今季は都市対抗連覇の期待がかかっただけでなく、度会本人にとっては「ドラフト解禁」という大きな節目でもあった。ドラフト上位候補に挙がる度会は、当然のようにバックネット裏のスカウト陣から熱視線を浴びていた。

 度会はヤクルトの内野手として活躍した度会博文を父に持つ。東京北砂リトルに所属した小学6年時には、12球団ジュニアトーナメントでヤクルトジュニア入り。佐倉シニアに所属した中学3年時には、侍ジャパンU−15代表入り。横浜高では高校1年夏から活躍し、左のヒットメーカーとして脚光を浴びてきた。

 しかし、順調にエリート街道を歩む度会にとって大きな挫折が訪れる。高校3年時にプロ志望届を提出したものの、ドラフト会議で指名漏れに終わったのだ。

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