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甲子園出場で「離島旋風」の裏にあった大島高校・捕手の苦悩 「野球がイヤだと思う」ほどのイップスと闘っていた (3ページ目)

  • 菊地高弘●文・写真 text & photo by Kikuchi Takahiro

 大野も西田の復活を願い、ボールの握りやリリース感覚を積極的にアドバイスした。西田にとって大野は、自身を野球につなぎとめる大きな存在だった。

 高校2年夏が終わり、大野と西田の学年が最上級生となる新チームが始まった。相変わらず送球が安定しない西田に対し、監督の塗木哲哉(2023年度より鹿児島商業に異動)は1学年下の捕手をレギュラーとして起用することも本気で考えていた。それでも、塗木は最終的に西田に背番号2を渡している。理由は「大野を生かすため」だった。

「心太朗の配球なら、稼頭央の球数が減るはず。要所でうまく打たせる配球ができるから、少ない球数で1試合を投げきれるのは大きいと考えました」

 大野の力投もあって順調に勝ち上がる大島高校だったが、要所で西田のイップスが顔をのぞかせた。とくに苦手だったのは、2ストライク後にワンバウンドを空振りした打者をアウトにするため、一塁に送球するプレー。ただ一塁に投げればいいだけなのに、送球が逸れて振り逃げの出塁を許すケースが何度もあった。

 対戦校にも西田の送球が不安定なことは知れ渡っていた。勝負どころで三盗を仕掛けられ、西田の悪送球で痛い失点を喫したこともある。西田は当時の心境をこう振り返る。

「みんな僕の送球が悪いと思って走ってくるので、それは屈辱でしかなかったです」

 それでも、大野は顔色ひとつ変えずに投げ続けた。西田だけでなく、大島高校はバックがエラーするのが当たり前のような状況だったが、大野は幼少期から「エラーは出るもの」と割りきっていた。そんな泰然としたマウンド姿を評価するスカウトもいた。

【もう一度バッテリーを組みたい】

 守備面に不安を残しても、西田はバットで取り返す。大会前に打撃フォーム修正がはまり、自信を持って打席に入れるようになっていた。県大会決勝の鹿児島城西戦では、西田のサヨナラヒットで大島高校は初優勝を飾る。九州大会も3勝を挙げて決勝戦まで勝ち上がり、大島高校はセンバツ切符を手中に収めた。

 つまり、西田は送球イップスの不安を隠しながら、甲子園に出場したのだ。

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