帝京名誉監督・前田三夫が指導者人生を振り返る。名将の礎となったのは「選手時代の万年補欠」 (4ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

補欠だったからこそ見えたこと

 帝京の監督時代はノックの名手としても知られていた。さまざまな打球を打ち分け、狙った場所にピタリとボールを飛ばせる高い技術。その原点こそ、大学時代の辛抱を重ねた時間にある。バッティングピッチャーのみならずノッカーとしても重宝されるようになり、やがてチーム内で一目置かれる存在に。それが大学関係者の目にも留まり、帝京高の監督に指名されるきっかけとなった。

 レギュラーとは無縁だった大学時代、前田監督は何を見て、何を感じていたのか。

「まず、補欠ということは自分に足りないものがたくさんあるわけです。だから、レギュラー選手のどこがすごいのか、どこを学ぶべきなのかをいつも傍目で見ていました。うまい選手は下手な選手をどうしても見下してしまいがちだけど、そうではなく、下から憧れの目でじっくり観察していましたね。

 しかも試合に行けば、他大学にさらにすごい選手がたくさんいる。一流選手を間近で見られたのはとても大きかった。このタイプの選手はここを伸ばしたらさらによくなりそうだ、この体格なら身体をこう使うといいんだな、つまずいたときはこう修正するんだな......とか、彼らを見ながらそんなことをよく考えました。それが指導者としての引き出しを多く持つことにつながりました。

 逆にレギュラーでも、自己中心的だったり、ここはダメだなという部分もたくさんわかってきます。チームを代表して戦うのだから技術だけでなく人間性も大事。この時、私のなかでできあがったのが、こうでなければいけないんだという理想のレギュラー像。帝京は野球の強豪校にはなりましたが、人間的にダメだと思ったらレギュラー剥奪。だから、実力があっても外したことは多々ありました」

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