巨人・坂本勇人らを育てたコワモテ監督が勝利至上主義からの脱却「選手の舞台を自分が奪ってしまっていた」 (2ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 全員でノックをすればエラーを連発する選手も出てくる。ノーエラーを課せば、緊張でミスしてやり直し。練習の雰囲気は悪くなるし、時間もかかる。それでもやり続けた。すると、意外なことが起こった。

「チームに一体感が出てきたんです。『オレはいいや。オレは関係ない』という子がいなくなった。みんな同じ場所で、同じようにやって、それを指導者が見てくれている。それが大きいんでしょうね」

 代替大会では試合ごとにベンチ入り選手の入れ替えができた。選手たちは、勝ち上がって34人いた3年生を全員出そうと必死になった。

「最後に一番バットを振ってるヤツに回るようにしてたんです。ところが、前の前の打者でゲッツーになって、このままなら回ってこないという状況になった。そしたら、キャプテンを中心に子どもらが『回せ、粘れ』と声を出している。あの光景を見た時に、こういう経験を能動的に積ませるのが高校野球の指導者として絶対に必要だなと考えさせられました。僕が甲子園にとりつかれていたんです。(選手を)萎縮させて、それゆえに勝てなかった。いつのまにか選手の舞台を、監督である自分が奪ってしまっていた」

坂本勇人の代は毎日が戦いだった

 それ以後はチーム運営や練習を改革した。週に1日は休みの日をつくり、オフには選手が自分で何をやるか考える課題練習日を設けた。

「僕が指導して監督満足の追い込み主義、詰め込み主義になっていました。それで人間的に強くはなるのですが、パンクさせていた部分もありました。僕はコワモテで有名ですから、律する自律はさせられる。でも、自立が難しい」

 光星学院時代は、やんちゃな生徒を多数預かった。言うことを聞かない選手ばかりだったため、指導者主導にならざるを得なかった。

「とくに坂本勇人の代はやんちゃなヤツらが多くて、毎日が戦いでした(笑)。彼らは誰にも負けないエネルギーを持っていた。反発心、反骨心、絶対負けない気持ち......それをもっと僕が生かしてやれば......。アイツらがあまりにもやんちゃすぎたんで、抑え込みすぎてしまった。逆に、それで坂本みたいなやんちゃな子が2000本打つまでになったんですけど(笑)。コロナになってからそのことがよぎってきたんです」

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