大阪桐蔭・星子天真と履正社・小西柚生は同郷で元日本代表チームメイト。両主将はなぜ熊本から「大阪2強」に来たのか

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News,Tanigami Shiro

 ところが、しばらくして石田がすぐに「星子」の名を思い出す出来事があった。翌年、仁志敏久が監督を務めた『カル・リプケン12歳以下世界少年野球大会』の日本代表に天真が選出。関係者から「実力もあるし、すばらしくリーダーシップをとれる選手がいる」と聞き、名前を確認すると「星子」。珍しい苗字に「あの時の弟か」と、すぐ石田の記憶が結びついた。

 やがて星子は中学3年となり、チーム練習に石田が訪れると、関係者から弟は大阪桐蔭に興味を持っているという話を聞き、相思相愛での進学が決定となった。

 地元で知られた星子の大阪桐蔭行きは、瞬く間に話題となった。そのニュースに小西は「大阪桐蔭でもキャプテンをやるようになるだろうし、チームも強くなる」と確信したと言う。

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履正社野球部初の熊本出身者

 一方で、小西の進路が決まるのはまだしばらくしてからで、その時点ではまさか自分が大阪桐蔭の最大のライバル校に進み、キャプテンとして星子と対決することになるとは想像もしていなかった。

 小西の進路は、昨年秋まで履正社の監督を務めた岡田龍生が関係していた。今から45年前、岡田が東洋大姫路(兵庫)で主将を務めていた時、隣県の強豪・PL学園を率いていた主将が熊本出身の選手だった。

 その後、同期の野球人として緩やかなつながりが続くなか、その元PL主将の中学時代の先輩が熊本で中学硬式のクラブチーム監督をしていると知った。そしてこのチームに小西が入団。ある時、関係者から岡田に「関東か関西の強豪校でやりたい」と言っている選手がいると相談を受けた。それが小西であり、進路先として履正社が浮上した。

 履正社には寮がなく、進学するとなれば学校が契約する下宿先に暮らすことになるのだが、練習を見学した小西の気持ちはすぐに固まった。

「聞いていたとおり、やらされる練習じゃなくて、自分で考えてやっている雰囲気が伝わってきて、ここでやりたいとなったんです」

 履正社野球部史上初の熊本出身者であり、最南端の地からの入学となった。

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