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鈴木誠也は「プロでやっていけるかもしれない」。二松学舎高時代の恩師が「代走」出場で感じた飛躍の兆し (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Sankei Visual

二松学舎大付属の監督の市原監督二松学舎大付属の監督の市原監督 高校入学後、すぐにチームの主力になった。

「1年生の秋から主力投手としてマウンドに上がりましたが、打つのも投げるのも走るのも粗かった。力任せ、強引なところが目立ちました。でも、消したくない長所であったので、『アウトカウントも考えような』と言い聞かせた記憶があります」

 投手として最速148キロのストレートを投げ、打者として通算43本のホームランを放った鈴木は、プロが注目する選手になった。

「私はいつも、『おまえの能力の高さはみんなが知っている。それよりも、野球に対する取り組み方をスカウトは見に来るんじゃないか』と言いましたね」

 市原は鈴木を指導するうえで、気をつけていたことがあるという。

「とにかく、本音で接するようにしました。信頼される大人になろうと考えました。私は誠也を育てたとは思っていません。彼が勝手に育ったんです」

 鈴木は投打で奮闘したものの、甲子園には届かなかった。2年生の夏も3年生の夏も、東東京大会の準決勝で敗れた。

「甲子園は、選手たちが自分の力で行くものだと私は考えています。そのために大事なのは、指導者が力を発揮させること。そこが足りなかったのかと思います。もしかしたら、甲子園に出られなかったことを本人が負い目に感じているかもしれませんが、それをバネにしたから今の誠也があるのでしょう」

誠也が後輩に勇気を与えた

 2012年ドラフト会議で、鈴木は広島東洋カープから2位指名を受けた。プロ1年目から二軍でレギュラーポジションをつかみ、2013年9月に一軍デビューを飾った。

 市原は鈴木の新人時代をこう振り返る。

「私が観戦した神宮球場の試合で、代走として出てきました。しっかりリードを取って何回もけん制球をもらい、いいスタートを切る誠也を見て、『これならプロでやっていけるかもしれない』と思いました。高校を出たばかりの新人なのに、走塁を評価されていることが私にはうれしかった。打つだけの選手ではないと認められているのだと」

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