「今日先発するのは間違いだった」。近江・山田陽翔の孤軍奮闘から何を学ぶべきか。対照的だった浦和学院との起用法 (4ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 そのつもりで準備してきた。だから大会中、どれだけ球数がかさんでも、多賀監督は「ウチは山田以外にいない。彼にかけたい」と繰り返した。

 だが、理想と現実は違う。たとえ山田本人が「投げたい」と言っても、ほかの選手たちが「最後はエースで」と頼んでも、「ダメだ」と言うのが本当のリーダーではないだろうか。

 その意味で、準決勝で対戦した浦和学院の森大監督は対照的だった。準々決勝まで3試合連続で先発していたエースの宮城誇南を近江戦では登板させなかった。試合が延長になっても「宮城に4連投目はさせない。今日は始めから投げさせないと決めていました」と、ぶれなかった。

 その結果、試合では敗れたが、もし勝っていたら、決勝でエースを中2日で起用できる。宮城の体を守ることはもちろん、優勝するためにはその選択しかなかったと言える。「明日を考えずに、今日この一戦ということ」と言っていた多賀監督とは正反対の選手起用だった。

絶対的エースのあり方

 今大会は、選考会で東海大会準優勝の聖隷クリストファーが選ばれずに話題となった。聖隷クリストファーは東海大会初戦でエースが故障。以降の試合は、控え投手や公式戦初登板の外野手が投げて決勝に進出した。近江も秋は山田が投げられず、投手陣の失点を打撃でカバーして近畿大会ベスト8に入った。エースの不在をチーム全体でカバーして勝ち上がった2校は補欠校。その戦いぶりは選考委員に評価されなかった。

 秋は、「エースがいないもの」として選考の対象にされなかった近江は、山田の大車輪の活躍でセンバツ準優勝を果たした。その代わり、エースの酷使という大きな代償を払わされることになった。昨夏の甲子園のあとに投げられなかったように、山田はこの先2カ月は休養せざるをえないだろう。6月頃から投げ始め、夏の大会に間に合わせようとするはずだ。勝ち上がれば、炎天下でまた連投を余儀なくされる。それは、感動でもなんでもない。

 絶対的エースがいなければセンバツ大会に選考されない。絶対的エースがいれば連投させる......それはもう令和の時代にそぐわない。高校野球は新たな時代に入るべきだ。あらためてそのことを考えさせられる大会であり、それを象徴した決勝戦だった。

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