大阪桐蔭の「夏の甲子園」初勝利。控え部員の献身に主役をはじめナインが応えた

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Okazawa Katsuro

王者の源流~大阪桐蔭「衝撃の甲子園デビュー」の軌跡
第6回

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 大阪桐蔭吹奏楽部の公式ホームページによると、2005年に野球部の応援を目的として部が誕生したと記してある。現在では甲子園で披露する圧倒的な"美爆音"のみならず、全日本吹奏楽コンクールの「金賞」をはじめ、世界大会でも実績を残し、各地での演奏会や数々のテレビ番組に出演するなど、日本屈指のブラスバンドとして知られている。

 吹奏楽部の起源も、じつは1991年にあった。

 野球部が1990年の近畿大会でベスト4まで進出し、初の甲子園となるセンバツ出場を決めると、部長の森岡正晃は応援の青写真を描いた。

「PLの曲を入れたい」

 面識のある母校のブラスバンド担当の教師に、PL学園の『ウイニング』や『ヴィクトリー』など、甲子園ファンには馴染み深い楽曲の継承を願い出ると、こう返答された。

「森岡くんの気持ちはわかるが、譜面を渡すわけにはいかん。これはPLの『誇り』や」

 野球部がそうであるように、ブラスバンドもゼロから築き上げたPL学園の魂であることは、森岡も知っている。だからこそ、それ以上は食い下がらなかったが、その教師から大きなヒントをもらえた。

「映画の『ベン・ハー』を観なさい。そこにすべてが詰まっている」

 日本では1960年に公開され、アカデミー賞を総なめにした歴史超大作を、森岡は「観る」以上に「聴いた」。頭のなかで『ベン・ハー』と甲子園をシンクロさせ「チャンスではこの音楽を」といったシミュレーションを重ね、イメージを大阪桐蔭の音楽教師に伝えた。そして、母体である大阪産大の吹奏楽部とともに、オリジナルのチャンステーマをつくり上げた。

 甲子園では四条畷学園がブラスバンドの応援部隊として演奏を担当した。腹の底まで響き渡る重低音。大太鼓とスタンドのかけ声も相手を威圧する。楽曲と同時に頼み込み、こちらは使用許可をもらったPL学園直伝の人文字がアルプススタンドで躍る。

 センバツで応援部隊を統率していたのが、3年生の今宗憲(こん・むねのり)だった。

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