大阪桐蔭の「夏の甲子園」初勝利。控え部員の献身に主役をはじめナインが応えた (4ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Okazawa Katsuro

1991年夏、初戦の樹徳戦で本塁打を含む4安打2打点の活躍を見せた元谷哲也1991年夏、初戦の樹徳戦で本塁打を含む4安打2打点の活躍を見せた元谷哲也 そして萩原は、結果で示した。

 樹徳戦の6回、2番手左腕の橋爪保の内角からシュート回転し真ん中に甘く入ったストレートを強振すると、萩原自身も「手応えがあった」という打球はレフトが数歩動いただけであきらめるほどの完璧な一発だった。

 3打数2安打(1本塁打)4打点。萩原が与えたインパクトは十分だった。その主砲よりも結果を残したのが5打数4安打(1本塁打)2打点の元谷哲也だった。だが、チームの誰よりも打ったにもかかわらず、主役の座を萩原に持っていかれる形となった。

「あいつ(萩原)が打ったら、いくらほかの選手が活躍してもかすんでしまう。でも、個人的にはホームランもそうですし、樹徳戦はイメージどおりのバッティングができました」

 この結果は、元谷の意地の表れでもあった。

 大阪大会では不振の澤村通に代わり1番を打つことが多く、井上大、萩原に次ぐチーム3位の打率.385を残すなど、調子がよかった。甲子園でもそうだと思っていたが、試合前に「定位置」の2番と言われ、監督の長澤和雄に抗議している。

「大阪大会では1番を打って結果も出してきたのに、なんで2番やねん!」

 そう憤る元谷が冷静さを取り戻せたのは、森岡からこう諭されたからだという。

「監督にも考えがあってのことなんやし、納得せぇ。甲子園ではチームのためにつなぐだけじゃなしに、自分を生かすためにつなぐことも、おまえならできると思っている」

 1番が出て、自分が送り、井上、萩原でランナーを還す──大阪桐蔭の"お家芸"を元谷はあらためて肝に銘じた。

「スタメン9人が4番バッターである必要はないんでね。僕は送りバントも得意やったし、甲子園ではつなぎに徹しました。樹徳戦の次から調子が落ち気味になってきたし、結果的によかったかもしれません」

 自らがつなぎ役に徹することで打線は円滑に機能し、大阪桐蔭は15安打11得点を奪い快勝した。

 そしてベスト8をかけた次の相手は、初戦でサヨナラ勝ちと勢いに乗る秋田に決まった。

「秋田? 勝てるやろ」

 ミーティングも早々に切り上げ、大阪桐蔭ナインは心身の休息に励んだ。次戦で壮絶な戦いが待っているとは、この時、知るよしもなかった。

(つづく)

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