2021.03.21

廃部寸前からセンバツ出場の奇跡。大崎の監督が思う島民への「恩返し」

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

『特集:球春到来! センバツ開幕』

 3月19日、2年ぶりとなるセンバツ大会が開幕した。スポルティーバでは注目選手や話題のチームをはじめ、紫紺の優勝旗をかけた32校による甲子園での熱戦をリポート。スポルティーバ独自の視点で球児たちの活躍をお伝えする。

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 大崎(長崎)のアルプススタンドには「捲土重来」の横断幕が掲げられる予定で、チームの支援者のひとりである書道家の女性がしたためた言葉に、監督である清水央彦(あきひこ)の思いがこもる。

 人口約5000人、長崎県西海市の大島にある唯一の高等学校である大崎の野球部を甲子園に導いた指揮官は、高校野球ファンには吉田洸二(現・山梨学院監督)とのコンビで清峰(長崎)を強豪に押し上げた指導者として知られる。

大崎を初の甲子園へと導いた清水央彦監督大崎を初の甲子園へと導いた清水央彦監督  自身の出身は佐世保商業。大学を卒業後、家業を継いでいたところ、母校の先輩である吉田が監督を務めていた佐世保商の練習を手伝うようになり、ゆるやかに指導者人生をスタートさせた。

 二人が組んだ2年目の秋に県ベスト8。翌年、吉田が平戸へ異動となり、残った清水が指揮したチームが夏に優勝候補の佐世保実を倒す大金星を挙げたこともあった。その翌年には清水も平戸へコーチとして出向き、コンビが復活。

 すると高校から野球を始めた選手も多かったという学校で2年目の秋に県ベスト8。この平戸での成功体験が長く残っていると、かつて吉田からも聞いたことがあった。そして二人は、吉田の異動に伴い2001年から北松南(現・清峰)で指導。その後の清峰の活躍は周知のとおりだ。

 やがて清峰を離れた清水は、監督を務めた佐世保実でも2度の甲子園出場。順調にキャリアを積んでいたが、2013年秋"行き過ぎた指導"と判断された一件でグラウンドからも、学校からも離れることになった。

 悶々とした日々を過ごしたのち、周囲の支えもあり西海市の職員として働き、2017年8月に大崎高校野球部のコーチとして4年半ぶりの現場復帰を果たした。