「もう無理かも」の弱気から甲子園出場へ。公立校・柴田が取り組んだ意識改革 (4ページ目)

  • 樫本ゆき●文 text by Yuki Kashimoto

 7年ぶりに出場した昨秋の東北大会では「一戦必勝」の目標を共有し、学法石川、八戸学院光星、東日本昌平、日大山形という強豪校に4連勝。エース谷木亮太(2年)の制球力と、機動力を絡めた打力、そして時間をかけて積み上げた守備力が1戦ごとに成長した。決勝で仙台育英に敗れたが、創部史上最高の東北大会準優勝につながった。5番村上太生輔(2年)は初戦から2試合安打が出ず苦しんだが「不調の原因はスイングではない。ボールを下から見ているから低めの見極めができていない。もっと上から見よう」と客観的に自分を分析し、快音を取り戻した。自分たちで考える力が、いい形で発揮された。「甲子園でもあの戦いができれば。勝機はある」と、平塚監督は兜の尾を引き締める。

◆東北大会で公立校が強豪を次々撃破

 2011年の東日本大震災から10年。平塚監督の瞼の裏にも、さまざまな光景が焼きついている。仙台市の自宅は無事だったが200m手前まで押し寄せた津波に、死の恐怖を感じた。家を流された生徒がいた。家族を亡くした生徒もいた。そんな生徒たちの心のケアをしながら、片づけに追われ、野球どころではない数ヵ月を過ごした日々は忘れない。

「当たり前の生活が当たり前ではなかったという気持ちを、あの震災で初めて気づきました。水の大切さ、食事の有難さ、貴重なガソリン、野球をやれる喜び。生きていることに感謝して、謙虚に生きることを心に刻みました」

 遠藤瑠祐玖(るうく)主将(2年)も言う。

「震災から10年の節目に選んでいただいたので、地域の人を勇気づけたい。正直、出場校の中でどのチームよりもレベルは低いので、自信にしている守備の練習からもう一度気持ちを入れてやっていきたい」。取材ではあえて言わないが、選手の間では「日本一を取ろう」と言い合っている。

 遠藤、そして文頭の横山兄弟は津波被害が大きかった石巻市の出身だ。横山は小学校1年生のときに自宅も野球道具も流されたが、野球をやめず、甲子園の夢も一度もあきらめなかった。

「被災しながらも野球を続けてきた選手たちの姿を復興の象徴として、『宮城は元気です』というメッセージを全国の皆様に伝えたい」と平塚監督。夢なき者に成功なし。33人は、夢を決してあきらめない。

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